マルチファクターモデルの構築:複数のエッジを組み合わせる技術

概論:一つのエッジから、エッジの束へ

これまでの記事で解説してきたバリュー、モメンタム、クオリティといった個別のファクターは、それぞれが長期的に超過リターンを生み出す可能性を秘めた強力な「エッジ」です。しかし、どんなに優れた単一のエッジであっても、必ず不調に陥る時期、すなわちドローダウンの期間が存在します。

もし、それぞれが異なるタイミングで機能する複数のエッジを、一つの戦略として組み合わせることができたならどうでしょうか。一つのエッジが不調な時期を、もう一つのエッジが補うことで、より安定的で、より頑健なリターンを追求できるかもしれません。この思想を体系化したものがマルチファクターモデルです。

マルチファクターモデルの探求は、現代ファイナンスの歴史そのものと言えます。長らく市場のリターンは市場リスクという単一の要因で説明されると考えられていましたが、ユージン・ファーマとケネス・フレンチによる1993年の研究が、サイズバリューという複数のファクターを用いることで、リターンをより良く説明できることを示し、革命をもたらしました [1]。

さらに、マーク・カーハートは1997年に、この3ファクターモデルにモメンタムを加えることで、その説明力がさらに向上することを明らかにしました [2]。これは、異なる性質を持つエッジを組み合わせることの有効性を学術的に示した重要な一歩でした。

マルチファクターモデルの構築とは、単に有望なファクターを足し合わせる作業ではありません。それは、各ファクターの個性を深く理解し、それらの相関関係を分析し、お互いの弱点を補い合うようにポートフォリオを設計する、洗練された技術なのです。


長短の解説と損益の事例紹介

長所、強み、いい点について

リターンの源泉の多様化

マルチファクターモデルの最も根源的な強みは、リターンの源泉を多様化できる点にあります。

各ファクターは、異なる市場の非効率性やリスクプレミアムを捉えています。例えば、バリューは投資家の過度な悲観から、モメンタムは投資家の反応の遅れから超過リターンが生まれる、といった具合です。ベンダーらによる2013年の論文でも論じられているように、これらの異なる源泉からのリターンを組み合わせることで、特定の市場環境や投資家心理への依存度を下げ、より頑健なポートフォリオを構築することが可能になります [3]。

パフォーマンスの安定化(収益事例)

マルチファクターモデルがもたらす最大の恩恵は、パフォーマンスの安定化、すなわちリスク調整後リターンの向上です。これは特に、互いに負の相関を持つファクターを組み合わせた際に、劇的な効果を発揮します。

その最も有名な例が、バリューとモメンタムの組み合わせです。クリフ・アスネス、トビアス・モスコウィッツ、ラッセ・ペデルセンによる2013年の研究は、この二つのファクターが歴史的に負の相関関係にあることを明らかにしました [4]。つまり、バリューが好調な時期にはモメンタムが不調になりやすく、逆にモメンタムが好調な時期にはバリューが苦戦する傾向があるのです。

彼らの分析によれば、バリュー戦略またはモメンタム戦略単体のシャープレシオがそれぞれ0.58、0.59であったのに対し、この二つを単純に組み合わせたポートフォリオのシャープレシオは0.97へと劇的に向上しました。これは、お互いのドローダウン期間を補い合うことで、同じリターンをより低いリスク(変動率)で達成できたことを意味します。

リスク要因の精緻な理解

ファーマとフレンチが2015年に提唱した5ファクターモデル(市場、サイズ、バリュー、収益性、投資姿勢)のように、より包括的なモデルを用いることで、投資家は自身が保有するポートフォリオのリターンが、どのような要因によってもたらされているのかを、より精緻に分解・理解することができます [5]。これは、パフォーマンスの要因分析や、将来のリスク管理を行う上で極めて重要な示唆を与えてくれます。

短所、欠点、リスクについて

ファクタークラッシュのリスク

マルチファクターによる分散効果は、平時の市場では有効に機能します。しかし、極端な市場ストレス下では、その効果が失われる危険性があります。その最も有名な実例が、2007年8月の「クオンツ・クライシス」です。カンダニとローによる2011年の研究は、この数日間で、多くのクオンツ・ファンドが、その戦略の種別に関わらず、突如として壊滅的な損失を出した現象を詳細に分析しました [6]。これは、ある大手ファンドの投げ売りが引き金となり、多くのファンドが類似のポジションを強制的に清算(ディレバレッジ)せざるを得なくなった結果、通常は異なる動きをするはずのファクターが一斉に、同じ方向に暴落したためです。この事例は、分散が機能せず、マルチファクター戦略が想定外の大きな損失を被る「ファクタークラッシュ」のリスクを明確に示しています。

ファクターの冗長性の問題

ファクターの数を増やせば増やすほど、ポートフォリオが改善するとは限りません。むしろ、互いに似たような性質を持つファクターを加えてしまう「冗長性」の問題が発生します。

例えば、ファーマとフレンチの5ファクターモデルでは、収益性投資姿勢という新しいファクターを加えた結果、元々あったバリューファクターの超過リターンを説明する力が、その大部分を失ってしまうことが示されています [5]。これは、バリューという現象が、実は収益性と投資姿勢という、より根源的な二つの要因の結果として現れていた可能性を示唆します。単純に多くのファクターを混ぜ合わせるだけでは、同じリスクを別の名前で重複して取っているだけ、という事態に陥りかねないのです。

非対称性と摩擦の視点

なぜ、単純なファクターの組み合わせが、これほどまでにポートフォリオを改善するのでしょうか。そして、その構築にはどのような困難が伴うのでしょうか。その本質を、当メディアの根幹をなす「非対称性」と「摩擦」の観点から解き明かします。

Asymmetry:ファクター間の「相関の非対称性」

マルチファクターモデルが機能する根源には、ファクター間の「相関の非対称性」が存在します。

アスネスらの研究が明らかにしたように、バリューとモメンタムの相関は、単に低いだけでなく、負(マイナス)であるという、際立って非対称な関係性を持っています [4]。これは、市場のサイクルの中で、投資家の心理が「恐怖(割安なものに注目が集まる)」と「強欲(上がっているものに追随する)」の間を揺れ動く結果、二つのファクターが非対称なパフォーマンスを示すためと考えられます。この負の相関こそが、お互いの弱点を補い合い、ポートフォリオを安定させるという、1+1が3にもなるような収益機会の源泉なのです。

しかし、この相関関係は常に安定しているわけではありません。そこには、もう一つの恐るべき非対称性が潜んでいます。2007年のクオンツ・クライシスが示したように、平時には無相関あるいは負の相関を持つはずのファクター間の相関が、市場の流動性が枯渇するという特定のストレス下では、突如としてプラス1に近づいていくという非対称性です [6]。平時には分散効果という利益をもたらしてくれる非対称な関係性が、パニック的な強制清算が連鎖する局面ではその効果を失い、すべてのファクターが一斉に下落するという損失の源泉へと変貌するのです。

Friction:モデル構築における「見えざるコスト」という摩擦

手数料やスプレッドのような基本的な摩擦に加え、マルチファクターモデルを現実に構築・運用する際には、特有の、より見えにくい摩擦が存在します。

実装(インプリメンテーション)の摩擦

マルチファクターモデルを構築することは、単に各ファクターで選ばれた「良い銘柄」のリストを足し合わせるような単純な作業ではありません。ある銘柄が、バリューファクターでは「買い」と評価される一方で、モメンタムファクターでは「売り」と評価される、といったシグナルのコンフリクト(衝突)が頻繁に発生します。

これらの相反するシグナルをどのように統合し、全体のポートフォリオのリスクを管理するかは、非常に複雑な問題です。この統合プロセスにおける売買の増加や、意図しないリスクへのエクスポージャーは、理論上のリターンを大きく損なう可能性のある、重大な「実装の摩擦」となります。

パラメータの推定リスクという摩擦

最適なマルチファクターモデルを構築するためには、各ファクターの将来の期待リターン、リスク(ボラティリティ)、そして相互の相関関係といった「パラメータ」を正確に予測する必要があります。しかし、これらのパラメータは神のみぞ知るものであり、我々は過去のデータからそれを「推定」するしかありません。

過去のデータから得られた推定値は、ノイズを多く含んでおり、将来も同じであるという保証はどこにもありません。この「パラメータの推定リスク」という摩擦は、精緻な最適化計算に基づいて構築されたはずのポートフォリオが、現実の市場では全く期待通りに機能しないという結果をもたらす根源的な問題です。


総括

・マルチファクターモデルは、単一のファクターが持つドローダウンのリスクを、他のファクターを組み合わせることで軽減し、より安定的なリターンを目指す技術です。

・その中核的な便益は、バリューとモメンタムのように、互いに相関が低い、あるいは負の相関を持つファクターを組み合わせることで、リスク調整後リターンが劇的に向上する点にあります [4]。

・最大の弱点は、2007年のクオンツ・クライシスで示されたように、市場の流動性が枯渇するようなストレス下では、ファクター間の分散効果が失われ、すべてが同時に暴落する「ファクタークラッシュ」のリスクがあることです [6]。

・また、モデルの構築には、ファクター間のシグナルの衝突を解決する「実装の摩擦」や、過去のデータに依存せざるを得ない「パラメータの推定リスク」といった、見えざるコストが伴います。


用語集

マルチファクターモデル 市場のリターンを、サイズ、バリュー、モメンタムといった複数のファクター(要因)を組み合わせて説明・予測しようとするモデル。

3ファクターモデル ファーマとフレンチが提唱した、市場リスク、サイズ、バリューの3つの要因で株式リターンを説明するモデル。

5ファクターモデル 3ファクターモデルに、収益性(プロフィタビリティ)と投資姿勢(インベストメント)という2つの要因を追加した、より新しいモデル。

相関関係 (Correlation) 二つの異なるデータ(この場合はファクターリターン)が、どの程度同じ方向に動くかを示す統計的な指標。+1に近いほど同じ方向に動き、-1に近いほど逆の方向に動く。

シャープレシオ (Sharpe Ratio) リターンを、そのリターンを得るために取ったリスクの大きさで割った値。リスク調整後のパフォーマンスを測る指標で、数値が高いほど効率的な運用とされる。

ドローダウン (Drawdown) ポートフォリオの資産価値が、過去の最高値から下落した際の、その下落率のこと。

ファクタークラッシュ (Factor Crash) 金融危機などの際に、通常は異なる動きをするはずの複数のファクターが、一斉に、同じ方向に急落する現象。

冗長性 (Redundancy) あるファクターがもたらす情報が、他のファクターによって既に大部分説明できてしまう状態。モデルに冗長なファクターを加えることは、不必要に複雑性を増すだけで、予測力の向上にはあまり寄与しない。

ポートフォリオ 投資家が保有する、株式、債券、不動産などの金融資産の組み合わせ、またその一覧。

リスクプレミアム ある資産を保有する際に、その資産が持つリスクを引き受けることへの対価として、無リスク資産のリターンを上回って期待される追加的なリターンのこと。


参考文献一覧

[1] Fama, E. F., & French, K. R. (1993). Common risk factors in the returns on stocks and bonds. Journal of Financial Economics, 33(1), 3-56.
https://doi.org/10.1016/0304-405X(93)90023-5

[2] Carhart, M. M. (1997). On Persistence in Mutual Fund Performance. The Journal of Finance, 52(1), 57-82.
https://doi.org/10.1111/j.1540-6261.1997.tb03808.x

[3] Bender, J., Briand, R., Melas, D., & Subramanian, R. A. (2013). Foundations of factor investing. The Journal of Portfolio Management, 40(1), 1-17.
http://dx.doi.org/10.2139/ssrn.2543990

[4] Asness, C. S., Moskowitz, T. J., & Pedersen, L. H. (2013). Value and Momentum Everywhere. The Journal of Finance, 68(3), 929-985.
https://doi.org/10.1111/jofi.12021

[5] Fama, E. F., & French, K. R. (2015). A five-factor asset pricing model. Journal of Financial Economics, 116(1), 1-22.
https://doi.org/10.1016/j.jfineco.2014.10.010

[6] Khandani, A. S., & Lo, A. W. (2011). What happened to the quants in August 2007?. Journal of Investment Management, 9(1), 5-46.
https://doi.org/10.3386/w14465

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