概論:ファクター発見ブームと「動物園」の誕生
1990年代にファーマ=フレンチの3ファクターモデルが登場して以来、金融学の世界では新しいファクター(市場のリターンを説明する要因)を探す研究が爆発的に増加しました。その結果、現在では数百種類ものアノマリー(経験則)が学術論文で報告されるに至っています。
しかし、この発見ブームは深刻な問題をもたらしました。あまりにも多くのファクターが乱立し、どれが本物のリターンの源泉で、どれが単なる統計上のノイズなのか、研究者でさえ見分けがつかない飽和状態に陥ったのです。
この混沌とした状況を、シカゴ大学のジョン・コクラン教授は、2011年の米国ファイナンス学会での会長講演において、「ファクター動物園 (a zoo of new factors)」と揶揄しました [1]。このキャッチーな言葉は、現代の資産価格研究が直面する根源的な問題を的確に表現し、広く知られるようになりました。
「動物園」にいる動物たち、すなわち数百のファクターは、玉石混交です。中には、バリューやモメンタムのように、長年にわたりその存在が確認されてきた頑健な「猛獣」もいれば、一度きりのデータセットでしか確認できない、実在が疑わしい「幻の動物」も数多く含まれています。
投資家にとって、この「ファクター動物園」問題は極めて重要です。もし、偽物のアノマリーに騙されて投資戦略を構築してしまえば、期待したリターンが得られないばかりか、深刻な損失を被る危険があるからです。この記事では、学術研究がどのようにしてこの動物園の中から「本物」を見分けようとしているのか、その最前線の手法を解説します。
長短の解説と損益の事例紹介
「ファクター動物園」を理解することは、ファクター投資の光と影を知ることに他なりません。なぜ動物園は危険なのか、そして、その危険を乗り越えて本物を見つけるための基準とは何なのでしょうか。
短所、欠点、リスクについて:動物園に潜む危険(損失事例)
動物園にいるファクターの多くが、なぜ偽物、あるいはもはや有効ではないと考えられるのでしょうか。その背景には、学術研究のプロセスに根差した、いくつかの深刻な問題が存在します。
1.データマイニング(pハッキング)という罠
「ファクター動物園」が生まれた最大の原因が、データマイニング(あるいはpハッキング)です。これは、研究者が意図的、あるいは無意識的に、統計的に「有意な」結果が出るまで、データの使い方や分析方法を様々に試行錯誤してしまう行為を指します。
キャンベル・ハーヴェイ、ヤン・リュー、ヒュー・ズーによる2016年の画期的な研究は、この問題を痛烈に批判しました [2]。彼らは、過去に発見された300以上のアノマリーを検証し、その多くが、現代のより厳格な統計基準(t値3.0以上)を満たしていないことを明らかにしました。これは、報告されたファクターの多くが、単なる偶然の産物、すなわち統計上の幻であった可能性が高いことを意味します。このようなファクターに投資することは、再現性のないノイズに賭けることであり、期待されるリターンはゼロ、あるいはマイナスになり得ます。
2.公表によるリターンの減衰
たとえ発見されたアノマリーが本物であったとしても、安心はできません。その存在が学術論文として公表されると、その超過リターンは急速に失われていく傾向があります。
マクリーンとポンティフによる2016年の大規模な研究は、97種類のアノマリーを調査し、論文として公表された後、その超過リターンが平均で58%も減少することを発見しました [3]。これは、論文の発表をきっかけに、ヘッジファンドなどのプロの投資家が即座に裁定取引を行い、利益の源泉を食い潰してしまった結果であると考えられます。
長所、強み、いい点について:本物のアノマリーを見分けるための基準
「ファクター動物園」は危険に満ちていますが、絶望する必要はありません。近年の学術研究は、偽物の中から本物のアノマリーを見分けるための、より洗練された基準を提示しています。
1.統計的基準の厳格化
まず、新しいファクターが本物であると主張するためには、より高いハードルを越える必要があります。ハーヴェイらは、将来の研究で新しいファクターを発見したと主張するためには、過去の研究で一般的に使われていたt値2.0ではなく、t値3.0以上という、より厳格な統計的基準を課すべきだと提案しています [2]。
2.グローバルな市場での再現性(アウト・オブ・サンプル検証)
発見されたファクターが、米国の特定の期間のデータだけでなく、異なる国や地域の市場(アウト・オブ・サンプル)でも同様に機能するかどうかは、その頑健性を測るための極めて重要なテストです。
ジェイコブスとミュラーによる2020年の研究は、世界49カ国で240以上のアノマリーを検証し、多くのアノマリーが国際市場では再現性を持たない一方で、バリューやモメンタムといった主要なファクターは、グローバルにその有効性が確認できることを示しました [4]。
3.第三者による再現可能性(レプリケーション)
科学の基本は、第三者が同じ実験を繰り返しても、同じ結果が得られるか(再現可能性)です。近年、金融研究の世界でも「再現性の危機」が問題視されるようになりました。
ジェンセン、ケリー、ペデルセンによる2023年の最新の研究は、過去に報告された200以上の株式アノマリーの再現を試みるという、大規模なプロジェクトの結果を報告しています [5]。この研究は、どのファクターが頑健で再現性が高く、どれがそうでないかを評価するための重要な基準を提供しており、投資家が動物園をナビゲートするための貴重な地図となり得ます。
非対称性と摩擦の視点
「ファクター動物園」という問題は、なぜ生まれ、そして投資家にどのような影響を与えるのでしょうか。その本質は、当メディアの根幹をなす「非対称性」と「摩擦」の観点から解き明かすことができます。
Asymmetry:研究者と投資家の「情報の非対称性」
ファクター動物園の存在そのものが、市場における深刻な情報の非対称性の表れです。
第一に、学術的な発見と、それが一般の投資家に届くまでの間には、圧倒的な時間差と質の差が存在します。ヘッジファンドのような最先端の投資家は、学術論文が公表されると同時にその内容を分析し、取引戦略に組み込むことができます。一方で、個人投資家がその情報を知るのは、何年も後になってからです。この情報の伝達速度の非対称性こそが、プロの投資家が超過リターンを刈り取り、その結果としてファクターが減衰していくプロセスそのものなのです [3]。
第二に、「本物」と「偽物」を見分ける能力の非対称性です。数百のファクターが混在する状況は、情報を大量に持つ者が有利となる典型的な環境です。統計的な妥当性を検証し、複数のデータセットで頑健性をテストする能力とリソースを持つ者だけが、動物園の中から価値ある「猛獣」を見つけ出すことができます。情報や分析能力で劣る者は、価値のない、あるいは危険な「幻の動物」に手を出してしまうリスクに常に晒されているのです。
Friction:偽物を見分けるための「検証コスト」という摩擦
手数料やスプレッドのような基本的な摩擦に加え、「ファクター動物園」という問題に立ち向かう際には、より本質的で巨大な「検証コスト」という摩擦が存在します。
前半で述べた「本物のアノマリーを見分けるための基準」を、一人の投資家が実践することを想像してみてください。
- 統計的妥当性の検証:論文の統計手法を理解し、ハーヴェイらが提案するようなより厳格な基準で再評価するには、高度な統計学の知識が必要です [2]。
- グローバルな再現性の検証:米国のデータで発見されたアノマリーを、欧州や日本、新興国のデータでゼロから検証するには、膨大なデータ費用と計算リソースが必要です [4]。
- 第三者による再現の確認:他の研究者による再現研究の結果を追い、その内容を精査するには、常に最新の学術界の動向を監視し続けなければなりません [5]。
これらを実行するために必要な時間、専門知識、そして費用という「検証コスト」は、ほとんどの投資家にとって乗り越えられない参入障壁、すなわち摩擦として機能します。この摩擦が存在するため、多くの投資家はファクターの真偽を自ら確かめることなく、聞こえの良いストーリーや過去のバックテスト結果だけを信じて投資してしまいます。この摩擦こそが、「ファクター動物園」が存続し、投資家にリスクをもたらし続ける根源なのです。
総括
この記事のキーポイントを以下にまとめます。
・「ファクター動物園」とは、数百ものアノマリー(ファクター)が乱立し、本物と偽物の見分けがつかなくなった混沌とした状況を指す言葉です [1]。
・動物園にいるファクターの多くは、研究におけるデータマイニング(pハッキング)によって生まれた、統計上の幻である可能性が高いと指摘されています [2]。
・たとえ本物のアノマリーであっても、その存在が論文として公表された後、プロの投資家による裁定取引によって超過リターンは大幅に減衰する傾向があります [3]。
・本物のファクターを見分けるためには、「厳格な統計基準」「グローバルな市場での再現性」「第三者による再現可能性」といった厳しい基準で検証することが不可欠です [2, 4, 5]。
・ファクター投資で成功するためには、動物園の存在を認識し、安易なバックテスト結果に飛びつくことなく、科学的で懐疑的な視点を持ち続けることが求められます。
用語集
ファクター動物園 (Factor Zoo) 数百種類ものファクター(アノマリー)が学術研究で報告され、どれが本物でどれが偽物か分からない混沌とした状況を揶揄した言葉。
データマイニング (Data Mining) 大量のデータを分析し、本来は意味のない偶然の相関関係を、意味のある規則性であるかのように見つけ出してしまうこと。
pハッキング (p-hacking) 統計的な分析において、研究者が自分に都合の良い結果(統計的に有意な結果)が得られるまで、データの分析方法を様々に試行錯誤すること。データマイニングの一種。
t値 (t-statistic) 統計的な仮説検定に用いられる指標の一つ。一般に、絶対値が大きいほど、その結果が偶然である可能性が低い(統計的に有意である)ことを示す。
アウト・オブ・サンプル検証 (Out-of-Sample Test) あるデータセット(サンプル)で発見された規則性が、そのデータセットに含まれていない別の期間や市場(アウト・オブ・サンプル)でも通用するかを検証すること。
再現性の危機 (Replication Crisis) 科学研究において、過去に報告された研究結果が、第三者による追試で再現できないという問題が多発している状況。金融学も例外ではない。
ファクターの減衰 (Factor Decay) 発見されたアノマリーがもたらす超過リターンが、その発見が公になった後に低下、または消滅する現象。
裁定取引 (Arbitrage) 同一の価値を持つ資産間で価格差が生じた際に、割安な方を買い、割高な方を売ることで、リスクなく利益を得ようとする取引。価格の歪みを是正する力となる。
5ファクターモデル 株式リターンを市場リスク、サイズ、バリュー、プロフィタビリティ、インベストメントの5つの因子で説明する、ファーマ=フレンチが提唱したモデル。
バックテスト (Backtest) ある投資戦略が、過去の市場データを用いてシミュレーションした場合に、どのようなパフォーマンスを示したかを検証すること。
参考文献一覧
[1] Cochrane, J. H. (2011). Presidential address: Discount rates. The Journal of Finance, 66(4), 1047-1108.
https://doi.org/10.3386/w16972
[2] Harvey, C. R., Liu, Y., & Zhu, H. (2016). …and the Cross-Section of Expected Returns. The Review of Financial Studies, 29(1), 5-68.
https://doi.org/10.1093/rfs/hhv059
[3] McLean, R. D., & Pontiff, J. (2016). Does academic research destroy stock return predictability?. The Journal of Finance, 71(1), 5-48.
https://doi.org/10.1111/jofi.12365
[4] Jacobs, H., & Müller, S. (2020). Anomalies across the globe: Once public, no longer existent?. Journal of Financial Economics, 135(1), 261-289.
https://doi.org/10.1016/j.jfineco.2019.06.004
[5] Jensen, T. I., Kelly, B. T., & Pedersen, L. H. (2023). Is there a replication crisis in finance?. The Journal of Finance, 78(5), 2815-2861.
https://doi.org/10.1111/jofi.13249
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