概論
ある資産の価格チャートを見て、「過去のパターンから未来が予測できるかもしれない」と考えるのは、トレーダーにとって自然な発想です。しかし、その「予測可能性」は、そのデータが持つ統計的な性質に根本的に依存しています。時系列分析の世界において、データが予測可能であるための大前提、それが定常性(Stationarity)です。
定常性とは、時系列データの統計的な性質(平均、分散、自己相関など)が、時間をずらしても変化しない、すなわち「いつでも同じような性質を持つ」という状態を指します。サイコロの目のように、いつ振っても出る目の確率分布が変わらないデータは定常的です。このようなデータは、過去のパターンが将来も繰り返される可能性が高く、統計的な予測モデルを適用する意味があります。
しかし、株価などの多くの金融時系列の「価格」データは、長期的なトレンドを持ち、その平均値は時間と共に上昇していくため、定常性を満たしません。このような、過去のショックの影響が永遠に残り続け、平均へと回帰する力を持たない時系列は非定常(Non-stationary)であると言われ、その統計的な特徴は単位根(Unit Root)を持つと表現されます。単位根を持つプロセスの代表例が、予測不可能な動きの代名詞であるランダムウォークです。
この「定常性」と「非定常性」を区別することは、トレーディング戦略の構築において死活的に重要です。なぜなら、二つの非定常な時系列データ(例えば、二つの無関係な企業の株価)を単純に回帰分析にかけると、本来は何の関係もないはずなのに、統計的には非常に高い相関があるように見えてしまう「見せかけの回帰(Spurious Regression)」という深刻な罠に陥るからです。この問題は、グレンジャーとニューボールドによる1974年の研究によって、広く知られるようになりました [1]。
この罠を避け、分析対象のデータが本当に予測可能な定常性を持っているのか、それとも予測不可能な単位根を持つ非定常なデータなのかを、統計的に判定するためのツールが単位根検定(Unit Root Test)です。その最も有名で基礎的な手法が、ディッキーとフラーによって1979年に開発されたディッキー=フラー検定(DF検定)です [2]。
長短の解説、利益例・損失例の紹介
長所、強み、有用な点について:予測可能性の「リトマス試験紙」
「見せかけの回帰」の回避(損失事例の回避)
単位根検定がもたらす最大の恩恵は、無意味な関係性に基づいた取引戦略を構築してしまうという、致命的な過ちを防ぐことにあります。
例えば、ある国のGDPと特定の株価指数の間に、強い相関が見られたとします。もし両者が共に単位根を持つ非定常な時系列であれば、その相関はグレンジャーとニューボールドが警告した「見せかけの回帰」である可能性が非常に高いのです [1]。単位根検定は、このような統計的な幻に騙されるのを防ぎ、より信頼性の高い分析への第一歩を踏み出すための、不可欠な「リトマス試験紙」として機能します。
ランダムウォーク仮説の厳密な検証
単位根検定は、金融市場の根幹をなすランダムウォーク仮説(株価の変動は予測不可能である)を、より厳密に検証するための強力なツールとなります。
ローとマッキンレーによる1988年の有名な研究は、従来の単純な自己相関テストとは異なる手法を用いて、株式市場が完全なランダムウォークには従っていない、すなわち短期的な予測可能性が僅かに存在することを示唆し、大きな議論を呼びました [3]。単位根検定とその関連手法は、市場のどの部分に、どの程度の予測可能性が残されているのかを探るための、現代的な実証研究の基礎となっています。
共和分(ペアトレード)への応用(収益事例)
単位根検定がもたらす最もエキサイティングな応用例が、共和分(Cointegration)の発見です。
二つの時系列データが、それぞれ単独では単位根を持つ予測不可能な非定常データ(ランダムウォーク)であっても、その二つの間で長期的に安定した関係性があり、その価格差(スプレッド)が定常性を持つ場合があります。この特別な関係が「共和分」です。
エングルとグレンジャーによる1987年のノーベル賞受賞対象となった研究は、この共和分の概念と、その検定手法を確立しました [4]。単位根検定を用いて二つの銘柄が共に非定常であることを確認し、さらにその価格差が定常であることを確認できれば、その価格差が平均へと回帰する性質を利用したペアトレード(統計的裁定取引)という、強力な取引戦略を構築する道が開かれます。
短所、弱み、リスクについて:統計的検定の限界
単位根検定は強力なツールですが、その結果を解釈する際には、いくつかの統計的な限界を理解しておく必要があります。
検定の「検出力の低さ」
ディッキー=フラー検定をはじめとする単位根検定は、統計的な「検出力(Power)が低い」という弱点を持つことが知られています。これは、時系列データが実際には(平均回帰性を持つ)定常的なプロセスであるにもかかわらず、その性質が非常に弱く、ランダムウォークに近い動きをする場合、検定がそれらを区別できずに、「単位根を持つ(非定常である)」という誤った結論を下してしまう傾向があることを意味します。
この問題を克服するため、ADF検定(拡張ディッキー=フラー検定)や、フィリップスとペロンによって1988年に開発された、より頑健な検定手法(PP検定)などが提案されています [5]。
構造変化への脆弱性
単位根検定が直面するもう一つの深刻な問題が、構造変化(Structural Break)です。時系列データが、例えば金融危機や政策変更といった大きなイベントを境に、その平均レベルが恒久的に変化したとします。データ全体としては非定常に見えますが、実際には、異なる平均を持つ二つの定常的な期間に分かれているだけかもしれません。
標準的な単位根検定は、このような構造変化を考慮していないため、構造変化が存在するデータを、単位根を持つ非定常なデータであると誤って判断してしまう傾向があります。
非対称性と摩擦の視点から
なぜ、市場には定常的なデータと非定常的なデータが混在しているのでしょうか。そして、それらを区別するための統計的検定には、どのような非対称性や摩擦が潜んでいるのでしょうか。
Asymmetry:検定の非対称性とトレンドの非対称性
統計的検定の非対称性
単位根検定は、その統計的な枠組み自体が「非対称」な構造を持っています。検定における帰無仮説は、「データは単位根を持つ(=非定常であり、予測不可能である)」というものです。そして、この仮説を棄却するためには、極めて強力な統計的証拠(データが定常的であるという証拠)が必要とされます。
これは、「疑わしきは罰せず」ならぬ「疑わしきはランダムウォークと見なす」という、非常に保守的な判断基準です。この検定の非対称性により、実際には弱い平均回帰性を持つ定常的なデータであっても、その証拠が不十分な場合には、「単位根あり(予測不可能)」と判定されてしまう傾向があります。これは、偽りのエッジに飛びつくリスクを減らす安全装置であると同時に、微弱な本物のシグナルを見逃してしまう可能性もはらんでいます。
トレンドの非対称性
多くの金融時系列が非定常であると言っても、その動きは完全に対称的ではありません。多くの国の株価指数は、短期的にはランダムウォークに近い動きをしますが、数十年という長期的な視点で見れば、明らかに右肩上がりの「ドリフト(傾向)」を持っています。暴落は鋭く短期的に起こる一方、上昇はより長く緩やかに続くという、トレンドそのものの非対称性が存在します。単位根という概念はデータのランダムな性質を捉えますが、その背後にある長期的な成長という非対称な力を見過ごしてはなりません。
Friction:「見せかけの回帰」という情報の摩擦
手数料やスプレッドのような基本的な摩擦に加え、定常性という概念には、分析プロセスそのものに内在する、より本質的な「摩擦」が存在します。
「見せかけの回帰」という情報の摩擦
非定常なデータを扱う際にトレーダーが直面する最大の摩擦は、「見せかけの回帰」という情報の罠そのものです [1]。何の知識も持たずに非定常な時系列データを分析すると、データは本来存在しないはずの「偽りの相関」を語りかけてきます。この幻のシグナルを信じて取引戦略を構築することは、破産への直行便に乗り込むようなものです。
この摩擦を乗り越えるためには、定常性や単位根検定といった、専門的な統計知識を習得するための「学習コスト」を支払わなければなりません。この学習コストこそが、統計的な知識を持つトレーダーと、そうでないトレーダーとを分ける、見えざる参入障壁となっているのです。
検定の解釈という技術的摩擦
単位根検定は、ボタンを押せば白黒はっきりとした答えが出るような、万能の魔法の杖ではありません。前半で述べたように、検定には「検出力の低さ」や「構造変化への脆弱性」といった、多くの技術的な問題が伴います [2, 5]。
検定結果が示す統計的な意味を正しく解釈し、その限界を理解した上で、複数の異なる検定手法を組み合わせて総合的に判断するには、高度な専門知識と経験が必要です。この「結果の解釈」という技術的な摩擦が、単位根検定を、誰にでも簡単に使いこなせるツールではなく、専門家による慎重な分析を要求する道具にしているのです。
総括
・時系列データが予測可能であるための統計的な大前提が「定常性」です。多くの金融時系列の価格データは、この定常性を満たさない「非定常」なデータです。
・非定常なデータ同士を分析すると、本来は何の関係もないはずなのに、見かけ上は強い相関があるように見えてしまう「見せかけの回帰」という罠に陥る危険があります [1]。
・「単位根検定」は、データが予測可能な定常性を持つか、予測不可能な非定常性(単位根)を持つかを統計的に判定するための不可欠なツールです [2]。
・単位根検定は、ペアトレードの基礎となる「共和分」の関係性を発見するための第一歩であり [4]、高度なトレーディング戦略の基礎をなします。
・一方で、単位根検定には「検出力が低い」「構造変化に弱い」といった統計的な限界も存在するため、その結果の解釈には慎重さが求められます [5]。
用語集
定常性 (Stationarity) 時系列データの統計的な性質(平均、分散、自己相関など)が、時間をずらしても変化しない、という性質。データの「予測可能性」の大前提となる。
非定常性 (Non-stationarity) 時系列データの統計的な性質が、時間と共に変化してしまう性質。長期的なトレンドを持つデータなどがこれに該当する。
単位根 (Unit Root) 非定常な時系列データが持つ統計的な特徴。単位根を持つプロセスは、過去に受けたショックの影響が永続し、平均へと回帰する力を持たない。
ランダムウォーク 将来の動きが、過去の動きからは全く予測できないような、ランダムな過程のこと。単位根を持つプロセスの代表例。
見せかけの回帰 (Spurious Regression) 本来は無関係な二つの非定常な時系列データ間に、あたかも統計的に有意な相関関係が存在するかのように見えてしまう現象。
単位根検定 (Unit Root Test) ある時系列データが、単位根を持つ(非定常である)という帰無仮説を検定するための統計的な手法。
ディッキー=フラー検定 (Dickey-Fuller Test) 単位根検定の最も基本的で有名な手法。
共和分 (Cointegration) 複数の非定常な時系列データ間に、長期的に安定した関係性が存在し、それらの線形結合(価格差など)が定常性を持つという特別な関係。
ペアトレード 共和分の関係にある二つの銘柄の価格差(スプレッド)が、その平均値から乖離した際に、将来的に平均値へ回帰することに賭ける統計的裁定取引。
自己相関 (Autocorrelation) ある時系列データにおいて、ある時点の値と、それより過去の値との間に見られる相関関係。
参考文献一覧
[1] Granger, C. W. J., & Newbold, P. (1974). Spurious regressions in econometrics. Journal of Econometrics, 2(2), 111-120.
https://doi.org/10.1016/0304-4076(74)90034-7
[2] Dickey, D. A., & Fuller, W. A. (1979). Distribution of the estimators for autoregressive time series with a unit root. Journal of the American Statistical Association, 74(366), 427-431.
https://doi.org/10.2307/2286348
[3] Lo, A. W., & MacKinlay, A. C. (1988). Stock market prices do not follow random walks: Evidence from a simple specification test. The Review of Financial Studies, 1(1), 41-66.
https://doi.org/10.1093/rfs/1.1.41
[4] Engle, R. F., & Granger, C. W. J. (1987). Co-integration and error correction: representation, estimation, and testing. Econometrica, 55(2), 251-276.
https://doi.org/10.2307/1913236
[5] Phillips, P. C., & Perron, P. (1988). Testing for a unit root in time series regression. Biometrika, 75(2), 335-346.
https://doi.org/10.1093/biomet/75.2.335
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