VIX指数:恐怖指数が示すものと、その利用法

概論

市場の「熱気」や「冷え込み」といったセンチメントを、客観的な数値で把握することは可能でしょうか。この問いに対する、現代ファイナンスが生んだ最も成功した答えの一つが、VIX指数(Volatility Index)です。VIX指数は、シカゴ・オプション取引所(CBOE)が算出・公表している、米国株式市場の将来の変動性(ボラティティ)に対する市場の期待を反映した指数です。

具体的には、主要な株価指数であるS&P500を対象とする、多種多様なオプションの価格から算出されるインプライド・ボラティリティを基にしており、今後30日間の市場のボラティリティを市場参加者がどの程度と予測しているかを示します。市場が将来の大きな価格変動を予測する(=不安を感じる)とオプション価格は上昇し、VIX指数も上昇します。逆に、市場が安定を予測する(=安心している)とVIX指数は低下します。この性質から、VIX指数は「恐怖指数(Investor Fear Gauge)」というニックネームで広く知られています。

このような市場のボラティリティを直接取引可能にすることの理論的重要性は、VIX指数が誕生する以前から学術的に議論されていました。ボラティリティ自体をヘッジングの対象とすることは、投資家にとって長らく待ち望まれたツールであったのです [1]。VIX指数は、この理論的な要求に実務が応える形で発展しました [2]。

VIX指数の最も重要な特徴の一つが、株価(S&P500)と顕著な負の相関関係を持つ点です。歴史的に、株価が下落する局面、特に暴落時にはVIX指数が急騰し、逆に株価が上昇する平穏な市場ではVIX指数は低い水準で推移する傾向があります。この明確な逆相関の関係性は、多くの実証研究によっても確認されています [3]。

長所・短所の解説、利益例・損失例の紹介

長所:市場センチメントの可視化とヘッジへの応用

VIX指数がこれほどまでに広く注目される理由は、その多面的な有用性にあります。それは単なる市場指標に留まらず、将来予測やリスク管理のための強力なツールとなり得ます。

第一に、VIX指数は市場のセンチメントをリアルタイムで可視化する優れた指標です。ニュースやアナリストのコメントといった定性的な情報に頼ることなく、市場全体の「恐怖」や「楽観」の度合いを一つの客観的な数値で把握することができます。

第二に、VIX指数は将来の市場リターンを予測する上で、統計的に有意な情報を含んでいることが示されています。ある研究によれば、VIX指数(およびそれに関連するバリアンス・プレミアム)の水準は、将来の株式市場のリターンを予測する能力を持つことが報告されています [4]。これは、VIX指数が単に現在の恐怖を映し出すだけでなく、未来の市場動向に関する示唆を与えてくれる可能性を意味します。

第三に、そして最も実践的な応用として、VIX指数はその派生商品(デリバティブ)を通じて、ポートフォリオのヘッジングに利用できる点が挙げられます。株価と強い負の相関を持つ [3] という特性から、VIX先物やVIXオプションを買い持ちすることは、株式ポートフォリオが市場の急落に見舞われた際の損失を相殺する、強力な「保険」として機能し得るのです。

短所:直接取引不能という構造と、派生商品の罠

その輝かしい有用性の一方で、VIX指数にはその構造に根差した、いくつかの深刻な短所や注意点が存在します。特に、個人投資家がVIX指数に連動する金融商品(ETPなど)を取引する際には、その落とし穴を十分に理解しておく必要があります。

最も根本的な問題は、VIX指数そのものは、日経平均株価やS&P500のように直接売買することができない、という点です。VIX指数への投資は、常にVIX先物やVIXオプションといった派生商品を通じて行われます。これにより、現物である指数そのものの動きと、実際に取引する商品の価格との間に、複雑な乖離が生じることになります。

この乖離がもたらす最も有名な「損失事例」が、VIX先物市場のコンタンゴ(順鞘)という状態が引き起こす減価、いわゆる「コンタンゴ・ドラッグ」です。通常、VIX先物は期近の限月よりも期先の限月の方が価格が高い状態にあります。VIX指数に連動するETPは、この先物を定期的に期近から期先へと乗り換え(ロールオーバー)続けることでポジションを維持します。この時、割安な期近を売って割高な期先を買うため、VIX指数のスポット価格が全く動かなくても、時間と共にETPの価値は構造的に目減りしていきます。このような先物ベースの金融商品が普及(フィナンシャライゼーション)した市場では、先物価格が現物価格を下回る「ベーシスがマイナスになる」傾向が強まることが実証研究で示されており、これは長期保有者にとって構造的なコスト(損失)が発生することの裏付けとなります [5]。

非対称性と摩擦の視点から

VIX指数が「恐怖指数」と呼ばれる所以は、その動きが市場の心理を非対称に反映し、またその取引が市場の「摩擦」と深く結びついているためです。

Asymmetry:恐怖の非対称な現れ

VIX指数と株価の関係は、本質的に「非対称」です。株価が暴落する際、VIX指数はロケットのように急騰しますが、株価が緩やかに上昇する局面では、VIX指数はゆっくりと、時には停滞しながら低下していきます。これは、市場参加者の感情が、利益を得る喜びよりも損失を被る恐怖に対して、より強く、そして速く反応するという非対称性を反映しています。市場のパニックは一瞬で伝染しますが、楽観主義が醸成されるには時間がかかるのです。

このVIX指数と株価指数の間に見られる逆相関の非対称な関係性は、実証的にも確認されています [3]。VIX指数は、市場のダウンサイドリスク、すなわち非対称なテールリスクに対する市場参加者の集合的な警戒心を映し出す鏡であり、その歪んだ動きそのものが、市場の非対称性を物語っているのです。

Friction:スポットと先物の乖離という摩擦

VIX指数を取引する上で最も重要な「摩擦」は、指数そのもの(スポット価格)と、実際に取引されるVIX先物価格との間に存在する「価格差」と、その構造にあります。

VIX指数自体は計算上の数値であり、直接保有することはできません。そのため、VIXへの投資は必ず先物などのデリバティブを介して行われます。そして、この先物価格は、通常、将来の不確実性などを織り込み、スポット価格とは異なる価格で取引されます。このスポットと先物の間の価格差こそが、VIX取引における根源的な摩擦です。

この摩擦が最も顕著に現れるのが、VIX先物市場が通常の状態である「コンタンゴ(順鞘)」です。コンタンゴ下では、期先の先物ほど価格が高くなります。VIXに連動するETPなどは、ポジションを維持するために、満期が近づいた割安な期近の先物を売り、割高な期先の先物を買う「ロールオーバー」を繰り返します。この「安く売って高く買う」という行為を継続するため、たとえVIX指数のスポット価格が変動しなくても、ETPの価値は時間と共に構造的に減少していきます。この「コンタンゴ・ドラッグ」と呼ばれる現象は、VIX連動商品を長期保有する投資家にとって、リターンを確実に蝕む強力な摩擦なのです。先物市場のフィナンシャライゼーション後に「ベーシスがよりマイナスになる」という実証結果は、この摩擦が構造的なものであることを示唆しています [5]。

総括

  • VIX指数は、S&P500オプションの価格から算出される、市場の将来30日間のボラティリティに対する期待を反映した指標であり、「恐怖指数」として知られています [2]。
  • その理論的な背景には、ボラティリティというリスクそのものをヘッジするための金融商品が必要であるという考え方があります [1]。
  • VIX指数は、株価指数と強い負の相関を持ち [3]、将来の市場リターンを予測する情報を含んでいることが学術研究によって示されています [4]。
  • VIX指数そのものは直接取引できず、投資はVIX先物などのデリバティブを介して行われます。
  • この構造は、VIX指数とVIX先物価格の間に乖離を生む「摩擦」となり、特にVIX先物がコンタンゴの状態にある時、VIX連動型ETPの価値を時間と共に減価させる「コンタンゴ・ドラッグ」という問題を引き起こします [5]。

用語集

VIX指数 シカゴ・オプション取引所が算出するボラティリティ指数のこと。S&P500種株価指数オプションの価格から、市場が期待する将来30日間の変動率を算出する。「恐怖指数」とも呼ばれる。

インプライド・ボラティリティ (Implied Volatility, IV) オプションの市場価格を基に、オプション価格モデルを用いて逆算された、将来の予想変動率。VIX指数は、多数のオプションのIVから合成される。

S&P500 米国の代表的な株価指数の一つ。米国の主要な上場企業500社の株式で構成される。

恐怖指数 VIX指数のニックネーム。市場参加者の不安心理が高まると上昇する傾向があることから、このように呼ばれる。

VIX先物 VIX指数を原資産とする先物取引。VIX指数への投資やヘッジングに用いられる主要な金融商品。

コンタンゴ 先物市場において、期近の限月の価格が、期先の限月の価格よりも安い状態のこと。VIX先物市場ではこれが通常の状態(ノーマル・コンタンゴ)とされる。

バックワーデーション 先物市場において、期近の限月の価格が、期先の限月の価格よりも高い状態のこと。市場が大きな不安に包まれている際に発生しやすい。

ロールオーバー 先物取引において、ポジションを決済せずに翌月以降の限月に乗り換えること。

ETP (上場取引型金融商品) Exchange-Traded Productの略。ETF(上場投資信託)やETN(上場投資証券)など、取引所に上場している金融商品の総称。

負の相関 二つの変数が、互いに逆の方向に動く傾向がある関係性のこと。VIX指数とS&P500は、典型的な負の相関関係にある。

参考文献一覧

[1] Whaley, R. E. (1993). Derivatives on market volatility: Hedging tools long overdue. The Journal of Derivatives, 1(1), 71-84.
https://doi.org/10.3905/jod.1993.407868

[2] Whaley, R. E. (2009). Understanding the VIX. The Journal of Portfolio Management, 35(3), 98-105.
https://doi.org/DOI:%2010.3905/JPM.2009.35.3.098

[3] Carr, P., & Wu, L. (2006). A tale of two indices. The Journal of Derivatives, 13(3), 13-29.
http://dx.doi.org/10.2139/ssrn.871729

[4] Bekaert, G., & Hoerova, M. (2014). The VIX, the variance premium and stock market predictability. The Journal of Finance, 69(6), 2733-2773.
http://dx.doi.org/10.2139/ssrn.2431301

[5] Kang, W., Tang, K., & Wang, N. (2023). Financialization of commodity markets ten years later. Journal of Commodity Markets, 32, 100313.
https://doi.org/10.1016/j.jcomm.2023.100313

【免責事項】

本サイト/本記事は、著者個人の見解、経験、学習・研究内容に基づいた情報提供を目的としています。特定の銘柄や投資手法の推奨を目的としたものではなく、また、金融商品取引法に基づく投資助言サービスではありません。

投資には元本割れを含む様々なリスクがあります。価格変動、金利変動、為替変動、発行者の信用状況などにより、損失が生じる可能性があります。

本サイト/本記事で提供される情報を利用した投資判断や取引によって生じたいかなる損害についても、筆者および運営者は一切の責任を負いません。

投資に関する最終的な決定は、ご自身の判断と責任において行って(あるいは行わないで)ください。

コメント

タイトルとURLをコピーしました