概論
金融市場を注意深く観察すると、ある奇妙な性質に気がつきます。市場が穏やかな時期はしばらく穏やかなまま続き、一度荒れ始めると、その荒れた状態がしばらく続く。このように、リターンの変動率(ボラティリティ)が高い時期と低い時期が、それぞれ塊(クラスター)のように集中して現れる現象は、ボラティリティ・クラスタリングとして知られています。
伝統的な金融モデルの多くは、ボラティリティを一定(定数)であると仮定していましたが、このボラティリティ・クラスタリングという現実は、その仮定が誤りであることを明確に示しています。ボラティリティは、それ自体が時間と共に変化し、そしてある程度の予測可能性を持っているのではないか?
この問いに答え、時間変動するボラティリティを統計的にモデル化する道を開いたのが、ロバート・エングルが1982年に発表したARCH(Autoregressive Conditional Heteroskedasticity, 自己回帰条件付き分散不均一性)モデルです [1]。このモデルの革新的な点は、「今日のボラティリティ(正確には分散)の大きさは、昨日のリターンの大きさ(正確には誤差の2乗)に依存する」と考えたことにあります。つまり、大きな価格変動があった日の翌日は、ボラティリティが高くなる傾向がある、というクラスター性を数式で表現したのです。この業績により、エングルは後にノーベル経済学賞を受賞しました。
そして、このARCHモデルを、より一般的で、かつ少ないパラメータで柔軟に表現できるように拡張したのが、エングルの教え子であったティム・ボラースレフが1986年に提唱したGARCH(Generalized ARCH, 一般化ARCH)モデルです [2]。GARCHモデルは、「今日のボラティリティは、昨日のリターンの大きさ(ARCH項)だけでなく、昨日のボラティリティそのもの(GARCH項)にも依存する」と考えます。
これは、前回の記事で解説したARMAモデルの考え方を、ボラティリティ(分散)に応用したものです。このGARCHモデルの登場により、金融時系列分析、特にリスク管理やデリバティブ価格評価の分野は、飛躍的な進歩を遂げることになりました。
長短の解説、利益例・損失例の紹介
長所、強み、有用な点について:リスクを「予測」する力
より現実的なリスク管理
GARCHモデルがもたらした最大の恩恵は、将来のボラティリティを予測するという、極めて強力な能力です。過去のデータ全体の平均値でしかない静的なボラティリティ指標とは異なり、GARCHモデルは日々の市場の動きをインプットとして、翌日以降のボラティリティの動的な予測値を算出します。
この予測値は、バリュー・アット・リスク(VaR)の計算や、ポートフォリオの期待損失額の評価など、より現実的で精緻なリスク管理を行う上で、不可欠な情報となります。
オプション価格評価への応用(収益事例)
GARCHモデルは、オプション取引の世界にも大きな影響を与えました。伝統的なブラック・ショールズ・モデルは、ボラティリティが一定であるという非現実的な仮定の上に成り立っています。
ドゥアンによる1995年の研究は、このGARCHモデルをオプション価格評価に応用する理論的枠組みを提示しました [3]。GARCHモデルが予測する時間変動するボラティリティを価格評価モデルに組み込むことで、市場で観測されるスマイルカーブ(行使価格によってボラティリティが異なる現象)などを、より整合的に説明することが可能になります。これは、オプションの理論価格をより正確に計算し、取引の優位性(エッジ)を見出す上で、大きな進歩でした。
非対称なボラティリティのモデル化
基本的なGARCHモデルは、プラスのショック(価格上昇)とマイナスのショック(価格下落)が、その後のボラティリティに同じ大きさの影響を与えることを仮定しています。しかし、現実の市場では、一般的にマイナスのショックの方が、プラスのショックよりもボラティリティを大きく上昇させるという非対称な性質(レバレッジ効果)が観測されます。
この非対称性を捉えるため、GARCHモデルはさらに進化しました。ダニエル・ネルソンによる1991年のEGARCHモデル [4]や、グロステン、ジャガナサン、ランクルによる1993年のGJR-GARCHモデル [5]は、この「悪いニュース」への反応をモデルに組み込むことで、より現実の市場の動きに近いボラティリティの予測を可能にしました。
短所、弱み、リスクについて:モデルの限界と誤用
GARCHモデルは強力なツールですが、万能ではありません。その限界と、誤用のリスクを理解しておくことが重要です。
定常性の仮定
GARCHモデルは、その数理的な前提として、分析対象の時系列データが(広義の)定常性を持つことを要求します。しかし、市場は時に、金融危機やITバブルのように、その構造が根本的に変化する「レジーム・チェンジ」を経験します。このような構造変化が起こった場合、過去のデータに基づいて推定されたGARCHモデルのパラメータは、もはや将来を正しく予測する力を失ってしまう危険性があります。
予測精度の限界
エングル自身による2001年のレビュー論文でも論じられているように、GARCHモデルは過去のデータに対する当てはまり(イン・サンプル適合)は非常に良い一方で、将来のボラティリティを正確に予測する能力(アウト・オブ・サンプル予測)には限界があります [6]。特に、長期の予測精度は高くないことが知られています。モデルが示す予測値は、あくまで過去のパターンが未来も続くという仮定の下での一つの推定値に過ぎず、絶対的なものではないことを常に認識しておく必要があります。
非対称性と摩擦の視点から
なぜ、ボラティリティは時間と共に変化し、そしてその変化には予測可能なパターンが存在するのでしょうか。その本質を、当メディアの根幹をなす「非対称性と摩擦」の観点から解き明かすことができます。
Asymmetry:ボラティリティの非対称な反応
GARCHモデルの研究が明らかにした、最も興味深い発見の一つが、ボラティリティが持つ「非対称性」です。
基本的なGARCHモデルは、プラスのニュース(予期せぬ価格上昇)とマイナスのニュース(予期せぬ価格下落)が、その後のボラティリティに与える影響を対称的に扱います [2]。つまり、+5%のサプライズも-5%のサプライズも、同じだけ将来のボラティリティを高めると仮定するのです。
しかし、現実の市場はそうではありません。多くの実証研究が、マイナスのニュースの方が、プラスのニュースよりも、将来のボラティリティを遥かに大きく増加させるという、明確な非対称性があることを示しています。これはレバレッジ効果として知られています。企業の株価が下落すると、自己資本に対する負債の比率(財務レバレッジ)が上昇し、その企業の将来キャッシュフローの不確実性が増大するため、ボラティリティが高まる、という説明です。
この市場の非対称な反応を捉えるために、EGARCH [4]やGJR-GARCH [5]といった、より洗練された非対称GARCHモデルが開発されました。これらのモデルは、マイナスのショックに対してより敏感に反応するように設計されており、現実の市場が持つ非対称なリスク構造を、より正確にモデル化することを可能にします。
Friction:モデル選択と推定という技術的摩擦
手数料やスプレッドのような基本的な摩擦に加え、GARCHモデルを現実に適用する際には、より専門的で、技術的な「摩擦」が存在します。
モデル選択という情報の摩擦
GARCHモデルは、その後の研究の発展により、EGARCH、GJR-GARCH、APARCH、FIGARCHなど、膨大な数の派生モデルを持つ「モデルファミリー」を形成しています。それぞれのモデルは、ボラティリティの特定の性質を捉えるように設計されており、一長一短があります。
分析対象とする資産や市場の特性に応じて、どのモデルを選択するのが最適かを判断するには、高度な統計的知識と経験が必要です。この「モデル選択の不確実性」は、一種の情報の摩擦として機能します。もし不適切なモデルを選択してしまえば、ボラティリティを誤って予測し、リスク管理や取引戦略に深刻な欠陥をもたらす危険性があります。
パラメータ推定という技術的摩擦
GARCHモデルのパラメータを推定するためには、最小二乗法のような単純な手法ではなく、最尤法(Maximum Likelihood Estimation)といった、より高度な統計的推定手法が必要となります。
これらの計算は専門的な統計ソフトウェアを必要とし、その結果の解釈にも専門知識が求められます。この「パラメータ推定の複雑さ」という技術的な摩擦は、GARCHモデルを、誰にでも簡単に扱えるツールではなく、専門家による慎重な運用を要求する道具にしています。この技術的な参入障壁が、洗練されたボラティリティ分析を、一部の専門家のエッジとして成立させている側面もあるのです。
総括
・GARCHモデルは、金融市場に見られる「ボラティリティのクラスター性」(変動の激しい時期や穏やかな時期が続く現象)を捉えるための、標準的な時系列モデルです [1, 2]。
・その最大の強みは、将来のボラティリティを動的に予測する能力にあり、リスク管理やオプション価格評価の分野に革命をもたらしました [3]。
・現実の市場では、マイナスのニュースがプラスのニュースよりもボラティリティを大きく上昇させる「レバレッジ効果」という非対称性が存在し、EGARCHやGJR-GARCHといったモデルがそれを捉えるために開発されました [4, 5]。
・GARCHモデルは強力なツールですが、その適用には定常性の仮定が必要であり、将来の予測精度には限界があるなど、その限界を理解した上で慎重に用いる必要があります [6]。
用語集
GARCHモデル 一般化自己回帰条件付き分散不均一性モデル。過去のリターンの大きさと、過去のボラティリティ自身の両方を用いて、将来のボラティリティを予測する時系列モデル。
ARCHモデル 自己回帰条件付き分散不均一性モデル。GARCHモデルの前身であり、過去のリターンの大きさだけを用いて、将来のボラティリティを予測する。
ボラティリティ (Volatility) 資産価格の変動の激しさを示す指標。リターンの標準偏差で測定されることが多い。
ボラティリティ・クラスタリング 金融市場において、価格変動が激しい時期(高ボラティリティ)としばらく続き、価格変動が穏やかな時期(低ボラティリティ)もしばらく続くという、変動率の性質。
分散不均一性 (Heteroskedasticity) 時系列データの誤差項の分散(ボラティリティ)が、時間を通じて一定ではない状態。GARCHモデルは、この分散不均一性をモデル化する。
レバレッジ効果 (Leverage Effect) 株価が下落(マイナスのリターン)すると、企業の財務レバレッジが上昇し、将来のボラティリティが上昇するという、リターンの符号とボラティリティの間に見られる非対称な関係。
EGARCHモデル Exponential GARCH。レバレッジ効果を捉えるために、リターンの符号をモデルに組み込んだ非対称GARCHモデルの一つ。
GJR-GARCHモデル Glosten, Jagannathan, Runkleによって提唱された、レバレッジ効果を捉えるための、もう一つの代表的な非対称GARCHモデル。
定常性 (Stationarity) 時系列データの統計的な性質(平均、分散など)が、時間をずらしても変化しない性質。
バリュー・アット・リスク (VaR) ある一定期間において、特定の確率で発生しうる最大の損失額を推計したリスク指標。GARCHモデルは、より動的なVaRの計算を可能にする。
参考文献一覧
[1] Engle, R. F. (1982). Autoregressive conditional heteroscedasticity with estimates of the variance of United Kingdom inflation. Econometrica, 50(4), 987-1007.
https://doi.org/10.2307/1912773
[2] Bollerslev, T. (1986). Generalized autoregressive conditional heteroskedasticity. Journal of Econometrics, 31(3), 307-327.
https://doi.org/10.1016/0304-4076(86)90063-1
[3] Duan, J. C. (1995). The GARCH option pricing model. Mathematical Finance, 5(1), 13-32.
https://doi.org/10.1111/j.1467-9965.1995.tb00099.x
[4] Nelson, D. B. (1991). Conditional heteroskedasticity in asset returns: A new approach. Econometrica, 59(2), 347-370.
https://doi.org/10.2307/2938260
[5] Glosten, L. R., Jagannathan, R., & Runkle, D. E. (1993). On the relation between the expected value and the volatility of the nominal excess return on stocks. The Journal of Finance, 48(5), 1779-1801.
https://doi.org/10.1111/j.1540-6261.1993.tb05128.x
[6] Engle, R. F. (2001). The use of ARCH/GARCH models in applied econometrics. Journal of Economic Perspectives, 15(4), 157-168.
https://doi.org/10.1257/jep.15.4.157
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