Value at Risk (VaR):ポートフォリオが抱える最大損失額の推定


概論

株式、債券、為替、デリバティブなど、多種多様な資産で構成される現代のポートフォリオ。その全体像を把握し、内在するリスクを統一的な物差しで測ることは、投資家や金融機関にとって極めて重要な課題です。個々の資産のリスクを足し合わせるだけでは、資産間の相関が無視されてしまい、ポートフォリオ全体のリスクを正しく評価することはできません。この難問に対し、1990年代に金融業界の標準的な答えとして広く普及したのが、Value at Risk (VaR) です。

VaRとは、ある一定の期間において、あらかじめ定めた確率の範囲内で、ポートフォリオが被る可能性のある最大損失額を統計的に推定する指標です。具体的には、「信頼水準」と「保有期間」という二つのパラメータを設定して算出します。例えば、「信頼水準99%、保有期間1日のVaRが1,000万円」という場合、これは「通常の市場環境であれば、1日の損失が1,000万円を超える確率は1%しかない(=100日に1日の頻度でしか起こらない)」ということを意味します。

この概念は1990年代に急速に普及しましたが、その当初から、異なる計算モデルを用いると同じポートフォリオでも全く異なるVaRが算出され得ることなどから、その分かりやすさの裏に潜む危険性も指摘されていました [1]。とはいえ、そのシンプルさからVaRは金融機関の標準的なツールとなり、銀行の自己資本比率を定めるバーゼル合意など、規制当局にも採用されるに至りました [2]。

長所・短所の解説、利益例・損失例の紹介

長所、強み、有用な点について

VaRが金融リスク管理の主役となった最大の理由は、その卓越した「要約能力」にあります。ポートフォリオが内包する複雑なリスクを、「一つの金額」という、誰にでも直感的に理解できる単一の指標に要約できる点です。これにより、企業の取締役会や規制当局、株主といった、必ずしも金融工学の専門家ではないステークホルダーに対して、組織が抱える財務リスクの大きさを明確に伝達することが可能になります [1]。

この統一的なリスク尺度は、組織内の意思決定においても強力なツールとなります。各トレーディングデスクや事業部門が、それぞれどれだけのリスクを取っているかをVaRによって定量化し、比較することが可能になるためです。経営陣は、企業全体のリスク許容度に基づき、各部門にVaRの上限値を設定することで、リスク資本をより効率的に配分し、組織全体の収益性と健全性をコントロールすることができます。

また、VaRはリスク管理手法の進化も促しました。基本的なVaRモデルの限界が認識される中で、市場のボラティリティ変動をより精緻に捉えるための条件付き自己回帰VaRモデル(CAViaR)のような、より高度で動的なアプローチが開発されています [3]。

短所、弱み、リスクについて

その輝かしい普及とは裏腹に、VaRにはその誕生当初から、数多くの深刻な弱点や限界が指摘されており、特に金融危機の際にはその脆弱性が露呈してきました。

VaRの最も致命的な欠陥は、信頼水準を「超えた」場合に何が起こるかについて、一切の情報を提供しない点にあります。信頼水準99%のVaRは、残りの1%の確率で発生する「想定外の」損失が、VaRの値をわずかに超える程度なのか、それともポートフォリオを壊滅させるほどの巨大な損失なのかを区別できません。この「テールリスク」の無視は、VaRが抱える最大の弱点です。この問題に対処するため、極値理論(EVT)を用いてテールの分布をより正確にモデル化し、VaRの推定精度を向上させる研究も行われています [4]。

さらに、VaRは数学的にも重要な欠点を抱えています。それは、分散投資の効果を正しく評価できない場合がある「劣加法性」という性質を満たさないことです。これにより、VaRは数学的に「コヒーレントなリスク尺度」ではないと結論付けられており、理論的な堅牢性に疑問が呈されています [5]。

VaRモデルの限界が現実世界で悲劇的な結果を招いた象徴的な事例が、LTCMの破綻や2007年から始まった世界金融危機に代表されるリスク管理の失敗です。これらのケースでは、VaRモデルが、極端な市場環境下で発生する相関の急増や流動性の枯渇といった現象を捉えきれず、結果としてリスクを大幅に過小評価してしまいました [2]。VaRが与える「安全である」という幻想が、かえって破滅的な損失を招く一因となったのです。

非対称性と摩擦の視点から

VaRはなぜ、これほどまでに普及したにもかかわらず、多くの批判に晒され続けるのでしょうか。その本質は、当メディアの根幹をなす「非対称性」と「摩擦」の観点から解き明かすことができます。VaRが描き出すリスクの世界は、現実の市場が持つ非対称性を正しく捉えきれず、また、理論と実践の間には数多くの摩擦が存在します。

Asymmetry:VaRが切り捨てる非対称な世界

VaRというリスク尺度の根源には、損失に対する「非対称な」視点が内包されています。VaRは、確率分布の左側の裾野(損失サイド)にのみ焦点を当て、ある一点(信頼水準)までを切り取って見せる指標です。その境界線の内側で起こる損失は定量化されますが、境界線の外側で発生する、確率的には稀だが壊滅的な損失の大きさについては、完全に沈黙します。

この構造は、リスク認識に「崖」のような非対称性を生み出します。VaRの閾値まではリスクが管理されているように見えますが、その閾値を一歩でも超えた先は、損失の大きさが全く考慮されない未知の領域となります。損失額が「VaR+1円」の事象と、「VaR+1兆円」の事象は、どちらも単に「信頼水準を超えたイベント」として同じに扱われてしまうのです。

この非対称性は、危険なインセンティブを生み出す可能性があります。例えば、アウト・オブ・ザ・マネーのプットオプションを大量に売るような戦略は、平常時にはVaRの数値上は非常に低リスクに見えます。なぜなら、巨大な損失が発生する確率は、信頼水準の外側にあるからです [5]。しかし、ひとたびテールイベントが発生すれば、その損失は非対称かつ青天井となります。VaRは、このような非対称なリスクプロファイルを持つ戦略の危険性を隠蔽してしまう可能性があるのです [2]。

Friction:理論と現実を隔てる数々の摩擦

VaRという理論的な尺度が、現実のリスク管理で機能不全に陥る原因は、様々な「摩擦」にあります。

まず、VaRは現実そのものではなく、常に何らかのモデルを通じて計算されるという「情報の摩擦」が存在します。どの計算モデル(分散共分散法、ヒストリカル法など)を選択するか、どの期間のデータを参照するか、どのような確率分布を仮定するかによって、算出されるVaRの値は大きく変動します [1]。同じポートフォリオであっても、前提が違えばVaRの値は異なるのです。このモデル選択の任意性と、その仮定の脆弱性が、計算された数値と真のリスクとの間に、常に埋めがたいギャップ、すなわち摩擦を生み出します。

次に、VaRが規制の標準となったことで生じた「制度的摩擦」も深刻です。規制は、銀行に対してVaRに基づいた自己資本の確保を義務付けました。これは、銀行に「真のリスクを削減する」ことよりも、「規制上のVaRの数値を最小化する」というインセンティブを与えかねません。結果として、金融機関がVaRモデルでは捉えきれないテールリスクを意図的に抱え込み、規制をクリアしながら、実際にはより危険なポートフォリオを構築するという「規制の形骸化」を招く危険性があります [2, 5]。

最後に、VaRの最大の長所である「シンプルさ」が生み出す「認知的摩擦」も無視できません。複雑なリスクが単一の数字に要約されることで、経営者や管理者は、その数字の裏にあるリスクの「質」を見過ごし、過度の安心感を抱いてしまう危険があります。VaRの数値だけを見て、「リスクはコントロールされている」と判断し、その信頼区間の外側で何が起こりうるのかという本質的な問いかけを怠ってしまうのです。この思考の簡略化が、より深いリスク分析への道を阻む、強力な摩擦として機能するのです。

総括

  • Value at Risk (VaR)は、特定の期間と信頼水準においてポートフォリオが被る可能性のある最大損失額を推定する、広く普及したリスク管理指標です [1]。
  • 最大の長所は、複雑なポートフォリオのリスクを単一の金額で要約できる点にあり、経営層や規制当局とのコミュニケーションを円滑にします。
  • 最も致命的な弱点は、信頼水準を超えた場合に発生する損失の大きさ(テールリスク)を全く測定できないことであり、金融危機などでその限界が露呈しました [2]。
  • VaRは、分散投資の効果を正しく評価できない場合がある「劣加法性」の欠如など、理論的な問題を抱えており、「コヒーレントなリスク尺度」の要件を満たしません [5]。
  • VaRの信頼性は、その計算の基礎となるモデルや仮定に強く依存しており [1]、その弱点を補うための高度なアプローチ(CAViaR [3]やGARCH-EVTモデル [4])も研究されています。

用語集

Value at Risk (VaR) バリュー・アット・リスク。特定の保有期間において、特定の信頼水準のもとで、資産やポートフォリオが被る可能性のある最大損失額。

信頼水準 VaRを計算する際の確率的な基準。例えば信頼水準99%は、損失がVaRの値を上回る確率が1%であることを意味する。

テールリスク 確率分布の裾野(テール)で発生する、発生確率は極めて低いが、一度発生すると壊滅的な損失をもたらすリスク。

CVaR (Conditional Value-at-Risk) 条件付きVaR。損失額がVaRを超えた場合に、その損失額が平均してどれくらいになるかを示すリスク尺度。期待ショートフォールとも呼ばれる。VaRとは異なりコヒーレントなリスク尺度である。

正規分布 統計学で最も広く用いられる確率分布の一つ。平均値を中心に左右対称の釣鐘状の形をしているが、現実の金融市場の極端な動きを捉えきれないとされる。

劣加法性 二つのポートフォリオを合算した際のリスクが、それぞれのリスクの合計よりも必ず小さくなる(または等しくなる)という性質。分散投資の基本原理。VaRはこの性質を満たさない場合がある。

コヒーレントなリスク尺度 劣加法性など、合理的なリスク尺度が満たすべきとされる4つの数学的公理を満たすリスク尺度のこと。Artznerらによって提唱された。

極値理論 (EVT) 確率論の一分野で、観測データの中から極端に大きい(あるいは小さい)値がどのように振る舞うかをモデル化する理論。テールリスクの分析に用いられる。

GARCHモデル 金融時系列データに見られるボラティリティの変動(ボラティリティ・クラスタリング)をモデル化するための統計モデル。

バーゼル合意 国際的に活動する銀行の自己資本比率などに関する国際的な基準。市場リスクの測定にVaRの使用を認めている。

参考文献一覧

[1] Beder, T. S. (1995). VAR: Seductive but dangerous. Financial Analysts Journal, 51(5), 12-24.
https://doi.org/10.2469/faj.v51.n5.1932

[2] Stulz, R. M. (2008). Risk management failures: What are they and when do they happen?. Fisher College of Business Working Paper Series.
https://doi.org/10.1111/j.1745-6622.2008.00202.x

[3] Engle, R. F., & Manganelli, S. (2004). CAViaR: Conditional autoregressive value at risk by regression quantiles. Journal of Business & Economic Statistics, 22(4), 367-381.
https://doi.org/10.1198/073500104000000370

[4] McNeil, A. J., & Frey, R. (2000). Estimation of tail-related risk measures for heteroscedastic financial time series: an extreme value approach. Journal of Empirical Finance, 7(3-4), 271-300.
https://doi.org/10.1016/S0927-5398(00)00012-8

[5] Artzner, P., Delbaen, F., Eber, J. M., & Heath, D. (1999). Coherent measures of risk. Mathematical Finance, 9(3), 203-228.
https://doi.org/10.1111/1467-9965.00068

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