概論
人間の感情や裁量を排し、あらかじめ定められた厳格なルールに基づいて売買を繰り返すシステムトレード(またはアルゴリズム取引)は、現代の金融市場において不可欠な存在となっています。かつては大手金融機関の専売特許であったこのアプローチは、テクノロジーの進化、特にAPIの普及によって、今や洗練された個人投資家や小規模なファンドにも門戸が開かれています。
APIとは、Application Programming Interfaceの略であり、あるソフトウェアの機能やデータを、外部の別のプログラムから利用するための「接続口」や「窓口」のようなものです。トレーディングの世界におけるAPIは、私たちが開発した独自の取引プログラムと、証券会社や取引所のシステムとを直接繋ぐための橋渡し役を担います。これにより、リアルタイムの価格データを自動で取得し、分析し、そして人間の手を介さずに直接、注文を執行するという一連のプロセスを、完全に自動化することが可能になるのです [1, 2]。
このAPIを通じた自動化は、すでに世界の主要な市場で取引の主流となっています。例えば、外国為替(FX)市場のような流動性の高い市場では、アルゴリズム取引が取引量のかなりの部分を占めていることが研究によって示されています [3]。APIを利用したシステムトレードの構築とは、このようなプロの世界で用いられているアプローチを、自らの手で実現するための技術的な挑戦と言えるでしょう。
長所・短所の解説、利益例・損失例の紹介
長所、強み、有用な点について
APIを利用してシステムトレードを構築することには、裁量取引にはない、いくつかの明確な強みが存在します。
感情の排除と規律の徹底
システムトレード最大の利点は、恐怖や欲望といった、判断を鈍らせる人間の感情を完全に排除できる点です。APIを通じて稼働するプログラムは、市場の熱狂や悲観に惑わされることなく、あらかじめ定められたルールを冷徹に、そして24時間体制で実行し続けます。
実行速度と処理能力
コンピュータは、人間がマウスをクリックするよりも遥かに高速かつ正確に注文を執行できます。APIは、この速度の利点を最大限に引き出し、瞬間的な価格変動といった短期的な収益機会を捉えることを可能にします。また、人間が同時に監視できる銘柄数には限界がありますが、システムであれば何百、何千という銘柄を同時に監視し、取引機会を探すことができます。
厳密なバックテストと戦略の一貫性
APIを通じて実行する取引戦略は、コードとして明確に定義されているため、過去のデータを用いた厳密なバックテストが可能です。これにより、戦略の有効性を客観的に評価できるだけでなく、リサーチ段階のロジックと、実際の取引で使われるロジックとの間に乖離が生じるのを防ぎ、一貫性を保つことができます [1]。
収益事例:体系的なアノマリーの活用
学術論文が特定のAPIシステムによる収益を直接報告することはありませんが、APIによるシステムトレードが活用できる「体系的なアノマリー(市場の規則性)」については、数多くの研究が存在します。例えば、株式リターンにおける日次や週次といった季節性(シーズナリティ)の存在は、統計的に有意な現象として報告されています [4]。このような明確なルールに基づいたアノマリーは、人間の裁量を必要とせず、APIを通じて自動で執行するシステムトレードに非常に適した戦略と言えるでしょう。
短所、弱み、リスクについて
その強力なポテンシャルの裏で、APIを利用したシステムトレードは、技術的なリスクだけでなく、市場全体を巻き込むシステミックなリスクや、戦略そのものが破綻するモデルリスクといった、より本質的な危険性をはらんでいます。
失敗(損失)事例1:「2010年フラッシュ・クラッシュ」
システムトレードのリスクは、単一の企業の内部だけで完結するとは限りません。2010年5月6日に米国市場で発生した「フラッシュ・クラッシュ」は、その典型例です。この事件は、E-mini S&P 500先物市場において、ある大規模な自動売買プログラムが発した売り注文が引き金となり、市場がわずか数分間で暴落した、システミックなイベントでした [5]。これは、たった一つのアルゴリズムの挙動が、他の市場参加者のアルゴリズムの反応を誘発し、市場全体の流動性を瞬時に枯渇させうることを示しました。個々のシステムは正しく動作していても、それらの相互作用が市場全体に壊滅的な結果をもたらしうるのです。
失敗(損失)事例2:「2007年クオンツ・ショック」
もう一つの深刻なリスクが、多くの参加者が類似した戦略を用いることで発生する「モデルリスク」です。2007年8月、多くのクオンツ・ヘッジファンドが、明確なニュースがないにも関わらず、突如として前例のない損失を同時に被るという現象が発生しました。この「クオンツ・ショック」の原因について、ある研究は、一つ以上の大規模な定量的株式ポートフォリオが急速に巻き戻された(unwind)ことにあるという仮説を提示しています [6]。おそらくは、何らかの理由による強制決済(forced liquidation)が引き金となり、類似の戦略をとっていた他のファンドの損切りやデレバレッジを連鎖的に誘発し、戦略そのものが破綻したと考えられています。これは、システムトレードが、単一のバグだけでなく、戦略の同質化によっても脆弱になりうることを示す教訓です。
非対称性と摩擦の視点から
APIを利用したシステムトレードは、市場に存在する「非対称性」を利用し、「摩擦」を乗り越えようとする試みですが、同時に新たな非対称性と摩擦を生み出すという二面性を持っています。
Asymmetry:執行速度と規律の非対称性
システムトレードが収益機会を見出す源泉は、人間と機械の間に存在する根本的な能力の「非対称性」にあります。
第一に、執行速度の非対称性です。APIを通じて稼働するプログラムは、人間が情報を認識し、判断し、行動に移すよりも遥かに高速に、市場の変化に反応し、注文を執行することができます。特に、短期的な価格の歪みを利益源とする戦略にとって、このミリ秒単位の速度差は、決定的な優位性、すなわち非対称なエッジとなり得ます。現代の市場、特にFX市場などでアルゴリズム取引が主流となっている背景には、この速度競争が存在します [3]。
第二に、規律の非対称性です。人間は、市場の変動によって感情が揺さぶられ、時に非合理的な判断を下してしまいます。一方で、プログラムは感情を持つことなく、定められたルールを淡々と実行し続けます。この「機械的な規律」は、人間のトレーダーが持つ感情的な弱さという非対称性に対して、大きな優位性を持ちます。
Friction:テクノロジーという新たな摩擦
APIは、手動取引に伴う物理的な摩擦を劇的に低減させる一方で、それとは比較にならないほど複雑で、かつ見えにくい、新たな「摩擦」を生み出します。
「レイテンシー」という物理的摩擦
システムトレードの世界では、注文が取引所に到達するまでの時間、すなわち「レイテンシー(遅延)」が、パフォーマンスを左右する極めて重要な物理的摩擦となります。自宅のPCから発注するのと、取引所のデータセンターの隣にサーバーを置いて発注するのとでは、物理的な距離の差が、無視できないレイテンシーの差を生み出します。この摩擦を克服するための競争は、HFT(超高頻度取引)の世界で熾烈を極めています。
「複雑性」という技術的摩擦
システムトレードのリスクは、単一の分かりやすいバグだけに起因するわけではありません。フラッシュ・クラッシュの事例が示すように、個々のアルゴリズムは正しく動作していても、それらの相互作用が市場全体に予期せぬ崩壊をもたらすことがあります [5]。また、クオンツ・ショックの事例は、多くの参加者が類似した合理的なモデルを用いること自体が、強制決済の連鎖を引き起こし、システム全体の脆弱性となることを示しています [6]。この「複雑なシステムが織りなす予測不可能性」こそが、現代のシステムトレードが直面する、最も捉えがたい技術的摩擦です。
総括
- APIを利用したシステムトレードは、プログラムが証券会社のシステムと直接通信し、データ取得から注文執行までを自動化するアプローチです [1, 2]。
- その長所は、感情を排した規律ある取引、人間を遥かに凌駕する執行速度と処理能力にあります。
- 市場に存在する季節性のような体系的なアノマリーは、システムトレードによる自動執行に適しています [4]。
- そのリスクは、単一のプログラムのバグに留まらず、フラッシュ・クラッシュのように市場全体を巻き込むシステミックなもの [5]や、クオンツ・ショックのように戦略の同質化によって発生するもの [6]があります。
- APIトレードは、速度と規律という「非対称性」を利益の源泉とする一方で、レイテンシーやシステムの複雑性といった新たな技術的「摩擦」との戦いでもあります。
用語集
API (Application Programming Interface) あるソフトウェアの機能やデータを、外部のプログラムから利用するための接続仕様のこと。トレーディングでは、自作プログラムから証券会社のサーバーに直接、価格データ要求や発注を行うために利用される。
システムトレード (Systematic Trading) あらかじめ定められた客観的なルールに基づき、体系的に売買を行う取引手法。アルゴリズム取引とほぼ同義で使われることが多い。
アルゴリズム取引 (Algorithmic Trading) コンピュータのアルゴリズム(計算手順)を用いて、自動的に注文のタイミングや数量を決定・執行する取引のこと。
バックテスト (Backtest) ある投資戦略が、過去の市場データを用いてシミュレーションした場合に、どのようなパフォーマンスを示したかを検証すること。
レイテンシー (Latency) データの送信要求を出してから、その結果が返ってくるまでの遅延時間のこと。システムトレード、特に短期売買においては、この遅延が短いほど有利とされる。
フラッシュ・クラッシュ (Flash Crash) 明確なファンダメンタルズの変化がないにもかかわらず、電子取引市場において、価格が数分間といった極めて短い時間で暴落し、その後すぐに回復する現象。
クオンツ・ショック (Quant Quake) 多くの定量的(クオンツ)ヘッジファンドが、類似した戦略を用いていた結果、同時に巨額の損失を被る現象。2007年8月の事例が特に有名。
強制決済 (Forced Liquidation) 証拠金の不足(マージンコール)や、リスク管理上の理由などにより、保有しているポジションを、意思に反して強制的に決済させられること。
モデルリスク (Model Risk) 取引やリスク管理に用いる数理モデルが、その仮定の誤りや不完全さによって、予期せぬ損失を生み出すリスク。
システミックリスク (Systemic Risk) ある金融機関や市場の危機が、ドミノ倒しのように金融システム全体に波及していくリスク。
参考文献一覧
[1] Chan, E. P. (2013). Algorithmic trading: winning strategies and their rationale. John Wiley & Sons.
※書籍です
[2] Hilpisch, Y. (2020). Python for algorithmic trading: from idea to cloud deployment. O’Reilly Media.
※書籍です
[3] Chaboud, A. P., Chiquoine, B., Hjalmarsson, E., & Vega, C. (2014). Rise of the machines: Algorithmic trading in the foreign exchange market. The Journal of Finance, 69(5), 2045-2084.
https://doi.org/10.1111/jofi.12186
[4] Heston, S. L., & Sadka, R. (2008). Seasonality in the cross-section of stock returns. Journal of Financial Economics, 87(2), 418-445.
http://dx.doi.org/10.2139/ssrn.687022
[5] Kirilenko, A. A., Kyle, A. S., Samadi, M., & Tuzun, T. (2017). The flash crash: High-frequency trading in an electronic market. The Journal of Finance, 72(3), 967-1005.
https://doi.org/10.1111/jofi.12498
[6] Khandani, A. E., & Lo, A. W. (2007). What happened to the quants in august 2007?. Journal of Investment Management, 5(4), 5-54.
http://dx.doi.org/10.2139/ssrn.1015987
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