概論
前回の記事では、ランダムフォレストや勾配ブースティングといった、決定木をベースとするアンサンブルモデルの強力さと、その応用に潜むリスクについて解説しました。今回は、機械学習の世界におけるもう一方の巨人、ニューラルネットワークと、その発展形である深層学習(ディープラーニング)に焦点を当てます。これらのモデルは、市場が持つ捉えどころのない非線形性に正面から挑むための、最も強力な武器の一つと考えられています。
ニューラルネットワークは、人間の脳を構成する神経細胞(ニューロン)のネットワーク構造から着想を得た数理モデルです。多数の単純な計算ユニット(ニューロン)が層をなし、互いに結合することで、複雑な情報処理を実現します。データは入力層から与えられ、一つ以上の中間層(隠れ層)を経て、出力層で最終的な予測値が計算されます [1]。
そして、この隠れ層の数を大幅に増やし、モデルの構造を深くしたものが、深層学習(ディープラーニング)です。層を深くすることで、モデルはデータの中に存在する、より複雑で階層的な特徴を自動的に学習することが可能になります。この能力により、深層学習は画像認識や自然言語処理の分野で革命的な成果を上げ、金融市場の予測といった困難な課題にも応用されるようになりました [2]。
特に、株価のような時系列データの分析においては、過去の情報を記憶する仕組みを持つ再帰型ニューラルネットワーク(RNN)や、その改良版であるLSTM(Long Short-Term Memory)といった特殊な構造のモデルが開発され、金融市場の予測に応用する研究が進められています [3]。
長所・短所の解説、利益例・損失例の紹介
長所、強み、有用な点について
ニューラルネットワークと深層学習の最大の強みは、その圧倒的な柔軟性と表現能力にあり、理論上はあらゆる複雑な関数を模倣できるとされています。
究極の非線形モデリング能力
ニューラルネットワークは、「万能近似定理」によって、十分に多くのニューロンがあれば、いかなる複雑な非線形関数でも任意の精度で近似できることが数学的に知られています [1]。これは、市場に潜む、単純な線形モデルでは到底捉えきれない複雑なパターンや相互作用を、理論上はすべてモデル化できる可能性を秘めていることを意味します。
特徴量の自動抽出
深層学習モデルは、データから階層的に特徴を自動で学習する能力を持ちます。例えば、株価のローソク足チャートの画像を入力した場合、最初の層が単純なエッジを検出し、中間層がそれらを組み合わせて特定のパターンを認識し、さらに上位の層がそれらのパターンから将来の値動きを予測する、といった具合です。このように、人間が事前に特徴量を設計しなくても、モデル自身がデータの本質を捉えようと試みます。
収益事例:株式リターン予測における高い性能
ニューラルネットワークは、最先端の金融研究において、その高い性能を実証しています。Gu, Kelly, Xiuによる2020年の大規模な実証研究では、多数の機械学習モデルの中で、ニューラルネットワークがツリーベースのモデルと並び、将来の株式リターンを予測する上でトップクラスの性能を示したことが報告されました [4]。また、LSTMモデルをS&P500指数の日次データに適用したFischerとKraussによる2018年の研究でも、統計的に有意な予測性能が確認されています [3]。
短所、弱み、リスクについて
その驚異的な能力とは裏腹に、ニューラルネットワークは、金融というノイズが多く、不安定な領域で用いるには、極めて慎重な扱いを要する危険なツールでもあります。
深刻な過学習(Overfitting)リスク
ニューラルネットワークは、その高い柔軟性ゆえに、他のどの機械学習モデルよりも過学習に陥りやすいという深刻な弱点を抱えています。モデルに含まれるパラメータの数が数百万、数億に達することも珍しくなく、訓練データに存在する偶然のノイズを完璧に「記憶」してしまい、未来のデータに対しては全く機能しないモデルを生み出す危険性が極めて高いのです [5]。
「ブラックボックス」問題
深層学習モデルがなぜ特定の予測を出力したのか、その判断根拠を人間が理解することは、極めて困難です。この「ブラックボックス」という性質は、リスク管理やモデルのデバッグにおいて致命的な問題となります。モデルが予期せぬ振る舞いをした際に、その原因を特定することができないため、多くの金融機関では、その採用に慎重な姿勢が見られます。
非対称性と摩擦の視点から
ニューラルネットワークが持つ絶大な能力と、その応用に付きまとう深刻な困難は、「非対称性」と「摩擦」の観点からその本質を理解することができます。
Asymmetry:非対称な関係性を捉える究極のツール
市場のリターンを生み出す要因の関係性は、決して単純で対称的なものではありません。多くの場合、その関係性は「特定の条件下においてのみ有効」であったり、入力と出力の関係が歪んでいたりと、極めて非対称な性質を持っています。
ニューラルネットワーク、特に深層学習モデルは、この市場に内在する非対称・非線形な関係性を捉えるために設計された、究極のツールと言えます [1]。その柔軟な構造により、伝統的な線形モデルでは見つけることが不可能な、複雑なパターンや相互作用をデータから直接学習することが可能です [4]。他の機械学習モデルが特定の構造を仮定するのに対し、深層学習はより自由に、データが持つありのままの非対称な構造を模倣しようと試みます。この能力こそが、収益機会の源泉となり得るのです。
Friction:理想のモデル構築を阻む三重の摩擦
理論上は万能に見えるニューラルネットワークですが、その能力を現実の利益へと転換する道のりには、いくつかの深刻な摩擦が存在します。
「ノイズ」という情報の摩擦
金融データは、本質的なシグナルに対して、ランダムなノイズが圧倒的に多いという低いシグナル対雑音比という根源的な摩擦を抱えています。ニューラルネットワークはその高い表現能力ゆえに、この膨大なノイズまでをもパターンとして学習(過学習)してしまうリスクが極めて高いのです [5]。この情報の摩擦を乗り越え、ノイズの中から真のシグナルだけを抽出することは、ニューラルネットワークを金融市場で成功させるための、最も困難な課題です。
「ブラックボックス」という解釈の摩擦
モデルの内部構造が複雑すぎるため、なぜ特定の予測がなされたのかを人間が理解することが困難であるブラックボックス問題は、巨大な摩擦です。この解釈可能性の欠如は、モデルの信頼性を損ない、リスク管理を困難にし、実務家がその導入を躊躇する大きな原因となります。
「計算コスト」という物理的摩擦
深層学習モデルの訓練には、膨大なデータと、GPUに代表される高性能な計算資源、そして長い時間が必要です。この計算コストという物理的な摩擦は、誰もが簡単に最先端のモデルを試行錯誤できるわけではないという現実的な参入障壁を生み出しています。
総括
- ニューラルネットワークは、人間の脳の仕組みに着想を得た数理モデルであり、層を深くしたものが深層学習(ディープラーニング)です [1]。
- その最大の長所は、市場に内在する複雑で非線形なパターンを捉える能力にあり、株式リターン予測などで高い性能を示した研究事例があります [3, 4]。
- 一方で、その柔軟性ゆえに過学習のリスクが極めて高く、また、判断根拠が不明瞭な「ブラックボックス」問題という深刻な短所を抱えています [5]。
- ニューラルネットワークの応用は、金融データが持つ情報の摩擦(低S/N比)や、モデルの複雑さがもたらす解釈・計算の摩擦との戦いでもあります。
用語集
ニューラルネットワーク (Neural Network) 人間の脳の神経細胞(ニューロン)のネットワーク構造を模倣した数理モデル。入力層、隠れ層、出力層から構成され、データのパターンを学習する。
深層学習 (ディープラーニング, Deep Learning) ニューラルネットワークの隠れ層を多層(深く)にすることで、より複雑で高次元な特徴をデータから自動的に学習する技術。
非線形 (Non-linear) 入力と出力の関係が、単純な比例関係(直線)で表せない、より複雑な関係性のこと。金融市場の動きの多くは非線形であると考えられている。
過学習 (Overfitting) 機械学習モデルが、訓練用のデータに存在する偶然のノイズまで過剰に学習してしまい、未知の新しいデータに対してはうまく機能しなくなってしまう状態。
ブラックボックス (Black Box) 内部の仕組みや判断プロセスが不明瞭なシステムのこと。深層学習モデルは、なぜその結論に至ったのかを人間が理解することが困難なため、しばしばブラックボックスと評される。
再帰型ニューラルネットワーク (RNN) 時系列データのように、順序を持つデータを扱うために設計されたニューラルネットワークの一種。過去の情報を記憶し、現在の予測に反映させる仕組みを持つ。
LSTM (Long Short-Term Memory) RNNの発展形で、より長期の依存関係を学習する能力を改善したモデル。金融時系列データの分析によく用いられる。
万能近似定理 (Universal Approximation Theorem) 十分に多くのニューロンを持つニューラルネットワークは、任意の連続関数を任意の精度で近似できる、という理論。ニューラルネットワークの表現能力の高さを示す。
特徴量 (Feature) 予測モデルに入力される、データから抽出された変数や属性のこと。株価予測であれば、過去のリターンやテクニカル指標などが特徴量となる。
シグナル対雑音比 (Signal-to-Noise Ratio) データに含まれる、意味のある情報(シグナル)と、無意味な情報(ノイズ)の比率。金融データは、この比率が極めて低いことで知られる。
参考文献一覧
[1] Goodfellow, I., Bengio, Y., & Courville, A. (2016). Deep learning. MIT press.
※書籍です。
[2] Henrique, B. M., Sobreiro, V. A., & Kimura, H. (2019). Literature review: Machine learning techniques applied to financial market prediction. Expert Systems with Applications, 124, 226-251.
https://doi.org/10.1016/j.eswa.2019.01.012
[3] Fischer, T., & Krauss, C. (2018). Deep learning with long short-term memory networks for financial market predictions. European Journal of Operational Research, 270(2), 654-669.
https://doi.org/10.1016/j.ejor.2017.11.054
[4] Gu, S., Kelly, B., & Xiu, D. (2020). Empirical asset pricing via machine learning. The Review of Financial Studies, 33(5), 2223-2273.
http://dx.doi.org/10.2139/ssrn.3159577
[5] López de Prado, M. (2018). Advances in financial machine learning. John Wiley & Sons.
※書籍です。
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