ケリー基準:リターンを最大化する最適なポジションサイズとは

概論

トレーディングや投資の世界では、「何を、いつ売買するか」というエントリーとエグジットのタイミングに注目が集まりがちです。しかし、長期的に成功を収めるプロの投資家たちが同等、あるいはそれ以上に重要視するのが、「どれだけの資金を投じるか」というポジションサイジングの問題です。優位性のある戦略を持っていても、一度の取引に資金を投じすぎれば、一度の不運で市場から退場を余儀なくされます。逆に、慎重になりすぎて資金を少ししか投じなければ、資産はほとんど増えません。この難問に対し、数学的に最適な答えを提示したのがケリー基準です。

ケリー基準は、1956年にベル研究所の科学者であったジョン・ケリーによって発表された論文「情報レートの新しい解釈」にその起源を持ちます [1]。興味深いことに、この理論は元々、金融市場のためではなく、大陸間の電話回線におけるノイズの問題を解決するための情報理論の一部として生まれました。ケリーは、賭けにおける最適な資金配分問題が、通信路における情報伝送率の最大化問題と数学的に等価であることを発見したのです。

この理論の本質は、単にリターンを最大化するのではなく、「長期的な資産の幾何学的成長率を最大化する」ことにあります。言い換えれば、破産のリスクをゼロに抑えながら、複利の効果を最も効率的に高めるポジションサイズを算出するための公式です。最もシンプルな形では、ケリー基準が示す最適な投資比率は、その取引の「勝率」と、勝った時の利益と負けた時の損失の比率である「ペイオフレシオ」という二つの要素だけで決まります。

この理論は当初、学術的な関心に留まっていましたが、数学者であり伝説的なヘッジファンドマネージャーでもあるエドワード・ソープによって、その実践的な価値が見出されます。ソープは、ケリー基準をブラックジャックのカードカウンティング戦略に応用してカジノで莫大な利益を上げた後 [2]、その原理をウォール街に持ち込みました。彼が共著者として発表した論文では、株式市場においてもケリー基準が有効な資金管理の指針となり得ることが示されています [3]。ケリー基準は、単なる理論上の産物ではなく、現実世界で富を築くための強力なツールとなり得ることを彼が証明したのです。

長所・短所の解説、利益例・損失例の紹介

長所、強み、有用な点について

ケリー基準が他の多くの資金管理術と一線を画す最大の強みは、その数学的な最適性にあります。経験則や主観的なルールに頼るのではなく、「長期的な資産成長率の最大化」という明確な目的関数を持ち、それを達成するための唯一の解を数学的に導き出します。この厳密な理論的背景は、規律あるポジションサイジングの強力な拠り所となります。

理論上、ケリー基準が示す投資比率を守り続ける限り、全資産を失うという破産確率はゼロになります。これは、優位性のある戦略を見つけた際に、興奮のあまり過剰なリスクを取ってしまうという、多くのトレーダーが陥りがちな罠から守ってくれる強力なセーフガードとして機能します。

この資産成長率を最大化するというアプローチは、学術の世界では「成長最適ポートフォリオ」として知られ、半世紀以上にわたって継続的に研究されてきた分野です。近年の包括的なレビュー論文でも、その理論的重要性や様々な応用可能性が論じられており、金融経済学における確固たる地位を築いています [4]。これは、ケリー基準が一時的な流行ではなく、資産運用の根幹に関わる普遍的なテーマであることを示しています。

短所、弱み、リスクについて

その理論的な美しさにもかかわらず、ケリー基準を現実のトレーディングに適用する際には、いくつかの深刻な、そして実践的な問題が立ちはだかります。

最も根本的な弱点は、公式の入力値となる「勝率」と「ペイオフレシオ」、より一般的には期待リターンや共分散といったパラメータが、未来において正確にどうなるかは誰にも分からないという事実です。我々にできるのは、限られた過去のデータからこれらのパラメータを「推定」することだけです。しかし、この推定プロセスには必ず誤差が伴います。ある著名な研究が示すように、パラメータの推定誤差はポートフォリオのパフォーマンスに極めて大きな悪影響を及ぼし、理論上の最適ポートフォリオが、実際には単純な均等配分ポートフォリオ(1/N戦略)にさえ劣後する結果をもたらし得るのです [5]。

さらに、たとえパラメータを正確に知ることができたとしても、理論的に最適とされる「フルケリー」の投資比率は、極めて攻撃的であり、多くの投資家が心理的に耐えられないほどの巨大な資産変動(ボラティリティ)とドローダウンを引き起こします。あるシミュレーション研究によれば、フルケリー戦略は、その過程で資産が半分以下になるような深刻なドローダウンを経験する可能性が非常に高いことが示されています [6]。

このあまりの変動性の高さから、たとえ長期的な期待リターンが最大であることを頭では理解していても、ほとんどの人間は資産が半減する苦痛に耐えきれず、戦略を途中で放棄してしまうでしょう。このため、エドワード・ソープをはじめとする多くの実践家は、ケリー基準が算出した投資比率をそのまま使うのではなく、その半分(ハーフケリー)や3分の1といった、より保守的な「分数ケリー」を用いることを強く推奨しています。理論的な最適性と、人間が実践可能な戦略との間には、大きな隔たりが存在するのです。


非対称性と摩擦の視点から

ケリー基準は、なぜこれほどまでに魅力的でありながら、同時に危険なツールなのでしょうか。その二面性の本質は、当メディアの根幹をなす「非対称性」と「摩擦」の観点から解き明かすことができます。

Asymmetry:過剰投資がもたらす非対称な結末

ケリー基準の核心には、投資比率と資産成長率の間に存在する、極めて重要な「非対称性」が隠されています。

投資比率をゼロから徐々に増やしていくと、資産の長期的な成長率は上昇し、ケリー基準が示す最適点でピークに達します。しかし、そのピークを超えてさらに投資比率を高めていくと、成長率は急速に低下し始め、最終的にはマイナス、つまり破産へと向かいます。

この関係性は左右対称ではありません。最適点をわずかに下回る「過小投資」は、得られるはずだったリターンの一部を逃すだけです。しかし、最適点をわずかに上回る「過剰投資」がもたらすペナルティは、それとは比較にならないほど深刻です [6]。過剰投資は、資産を増やすどころか、破滅的なボラティリティの増大と長期リターンの壊滅的な低下を招きます。最適な投資比率の2倍の資金を投じる「ダブルケリー」では、長期的な期待リターンはゼロになってしまいます [3]。

この「過小投資の代償」と「過剰投資の代償」の間に存在する圧倒的な非対称性こそが、ケリー基準を扱う上で最も重要な教訓です。パラメータの推定誤差を考慮すれば、我々が算出した最適点は常に不確実です [5]。であるならば、誤る方向は一つしかありません。すなわち、常に過剰投資を避け、過小投資の側に意図的に身を置くことです。分数ケリー(ハーフケリーなど)が多くの実践家によって推奨されるのは、この非対称なリスク構造に対する、最も合理的で賢明な対処法なのです。

Friction:理論と現実を隔てる数々の摩擦

ケリー基準という数学的に完璧な理論が、現実の市場でそのまま機能しないのは、私たちの世界が様々な「摩擦」に満ちているからです。

手数料やスプレッドといった取引コストは、最も分かりやすい摩擦です。これらは取引の期待値(エッジ)を直接的に減少させるため、ケリー基準が示す最適な投資比率を低下させます。

しかし、より根源的な摩擦は、情報の不完全性にあります。ケリー基準の公式を駆動させる勝率やペイオフレシオというパラメータは、神の視点からしか知り得ない未来の値です。我々は、ノイズに満ち、限られた過去のデータからそれを「推定」するしかありません。この「真のパラメータ」と「我々の推定値」との間に横たわる避けられないギャップこそが、理論と実践を隔てる最大の「情報の摩擦」です [5]。この摩擦の存在を無視して、推定値を過信しフルケリーを適用することは、計器が狂っているかもしれない飛行機で、最大出力のエンジンを吹かすような行為に他なりません。

さらに、市場の非定常性、すなわち勝率やペイオフレシオが時間と共に変化するという事実も、強力な摩擦として機能します。過去のデータで計算した最適な投資比率が、未来の市場環境でも最適である保証はどこにもありません。このモデルの陳腐化という摩擦が、ケリー基準の機械的な適用に常に付きまとうリスクです。

最後に、投資家自身の心理が生み出す「認知的摩擦」も無視できません。フルケリーがもたらす巨大なドローダウンは、人間の感情に耐え難い苦痛を与えます [6]。資産が半減する中で、なおも合理的な判断を維持し、戦略を継続できる投資家はほとんどいません。この恐怖や後悔といった感情が、数学的な最適解を実行することを妨げる、最も人間的で、そして最も乗り越えるのが難しい摩擦と言えるでしょう。

総括

  • ケリー基準は、情報理論にルーツを持ち、長期的な資産の幾何学的成長率を最大化するための最適なポジションサイズを数学的に導き出す公式です [1]。
  • その数学的最適性は、規律ある資金管理の拠り所となり、理論上は破産を回避しながら資産を最大化する道筋を示します [2, 3]。
  • ケリー基準の有効性は学術的にも広く研究されていますが [4]、その実践は、未来の勝率やペイオフレシオを正確に予測できないという、根源的な「情報の摩擦」に直面します [5]。
  • 理論的に最適な「フルケリー」は、極めて高いボラティリティと深刻なドローダウンを伴うため、多くの投資家にとって心理的に実行不可能な戦略です [6]。
  • 投資比率と資産成長率の関係は非対称であり、「過剰投資」のペナルティは「過小投資」より遥かに深刻です。そのため、推定誤差のリスクを考慮した「分数ケリー」が、より実践的で堅牢なアプローチとされています。

用語集

ケリー基準 長期的な資産の幾何学的成長率(複利リターン)を最大化するために、各取引に投じるべき最適な資金の割合を算出する数学的な公式。

ポジションサイジング 個々の取引において、どれだけの量のポジションを持つか(どれだけの資金を投じるか)を決定する資金管理のプロセス。

幾何学的成長率 複利効果を考慮した、投資資産の長期的な平均成長率のこと。算術平均リターンよりも、現実の資産の増減をより正確に反映する。

ペイオフレシオ 勝ちトレードの平均利益が、負けトレードの平均損失の何倍であるかを示す指標。リスクリワードレシオとも呼ばれる。

情報理論 情報の伝達や処理を数学的にモデル化する理論分野。ケリー基準は、この理論から派生した。

分数ケリー ケリー基準が算出した最適な投資比率をそのまま使うのではなく、その半分(ハーフケリー)や3分の1など、一定の割合に減らして用いる、より保守的なアプローチ。

ドローダウン 特定の期間において、資産価値が過去の最高値からどれだけ下落したかを示す下落率。戦略が抱える潜在的なリスクの大きさを示す。

期待値 ある試行を何度も繰り返した時に、得られる結果の平均値。トレーディングにおいては、1回あたりの取引で見込まれる平均的な利益または損失を示す。

パラメータ 数式やモデルの挙動を決定する変数。ケリー基準においては、勝率やペイオフレシオがこれにあたる。

エラー・マキシマイゼーション ポートフォリオ最適化において、入力パラメータの推定誤差が、最適化後のポートフォリオのウェイトに増幅されて反映されてしまう問題。

参考文献一覧

[1] Kelly, J. L. (1956). A new interpretation of information rate. Bell System Technical Journal, 35(4), 917-926.
https://doi.org/10.1002/j.1538-7305.1956.tb03809.x

[2] Thorp, E. O. (1961). A favorable strategy for twenty-one. Proceedings of the National Academy of Sciences of the United States of America, 47(1), 110-112.
https://doi.org/10.1073/pnas.47.1.110

[3] Rotando, L. M., & Thorp, E. O. (1992). The Kelly criterion and the stock market. The American Mathematical Monthly, 99(10), 922–931.
https://doi.org/10.2307/2324484

[4] Christensen, M. M. (2005, November 1). On the history of the growth optimal portfolio (Draft version). University of Southern Denmark.
※ワーキングペーパー/ドラフトのためDOIなし

[5] DeMiguel, V., Garlappi, L., & Uppal, R. (2009). Optimal versus naive diversification: How inefficient is the 1/N portfolio strategy?. The Review of Financial Studies, 22(5), 1915-1953.
https://doi.org/10.1093/rfs/hhm075

[5] MacLean, L. C., Thorp, E. O., & Ziemba, W. T. (2010). Long-term capital growth: The good and bad of Kelly betting. Quantitative Finance, 10(7), 681-687.
https://doi.org/10.1080/14697688.2010.506108

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