一目均衡表の「三役好転/三役逆転」: その予測力と遅行性のトレードオフ

概論

日本のトレーダーが生み出し、今や世界中で利用されている数多くのテクニカル指標の中でも、一目均衡表はその独特の哲学と包括性で異彩を放っています。1960年代に細田悟一(ペンネーム:一目山人)によって開発されたこの指標は、その名の通り、チャートを一目見るだけで相場の均衡状態、すなわちトレンドの方向性、モメンタム、そして将来のサポート(支持)とレジスタンス(抵抗)の水準を把握することを目指した、複合的な分析ツールです。

一目均衡表は、転換線、基準線、先行スパン1、先行スパン2、そして遅行スパンという5つの主要な線で構成されます。これらの線が織りなす位置関係、特に先行スパン1と2で形成される「雲」との関係性によって、相場の強弱を判断します。

数あるシグナルの中でも、最も信頼性が高いとされるのが「三役好転」と「三役逆転」です。三役好転は、①転換線が基準線を上抜く、②遅行スパンが過去の価格を上抜く、③現在の価格が「雲」を上抜く、という三つの強気条件が同時に満たされた状態を指し、極めて強力な買いシグナルとされています。三役逆転は、その全く逆の条件が揃った状態であり、強力な売りシグナルです。

しかし、その包括性と視覚的な魅力にもかかわらず、一目均衡表のような複雑なテクニカル分析は、学術的な金融理論の世界では長らく懐疑の目で見られてきました。ただし、移動平均線のようなよりシンプルなテクニカル指標については、その有効性を示唆する研究も存在しており [1]、一目均衡表の予測力についても、客観的な検証が待たれるところでした。

長所・短所の解説、利益例・損失例の紹介

長所:一部市場での有効性と現代的な応用

一目均衡表の有効性に関する学術的な検証は、移動平均線などに比べると数は限られますが、特に新興国市場や、現代的な応用例においてはその有用性を示唆する研究結果が報告されています。

「収益事例」としては、ベトナム株式市場を対象とした研究が挙げられます。この研究によれば、一目均衡表に基づいた戦略は、バイ・アンド・ホールド戦略と比較して、より低いリスクで累積リターンをわずかに増加させる可能性があり、特にコロナ禍の市場環境においてそのパフォーマンスが向上したことが示されています [2]。

また、一目均衡表の価値は、単独の売買システムとしてだけでなく、現代的な取引アプローチの構成要素としても見出されています。例えば、中国の原油先物市場を対象とした高頻度取引システムの開発において、一目均衡表が価格の短期的な動きの特徴を抽出するための指標として採用されました。その結果、提案されたシステムは平均で66.84%のヒット率、20.39%の累積リターン、1.22のシャープレシオという優れた成果を上げています [3]。これは、一目均衡表が捉える市場のパターンが、より高度な分析モデルにおいても有用な情報を提供し得ることを意味します。

短所:利益の一貫性の欠如と構造的な遅行性

その有用性が一部で示される一方で、一目均衡表の有効性が普遍的なものではなく、市場や時代によって大きく左右されることを示す研究も存在します。

「失敗(損失)事例」として、あるいは利益の不安定性を示す例として、世界の主要な株価指数と為替市場を対象とした大規模な検証が挙げられます。この研究では、1995年から2018年という長期のデータを二つの期間に分けて分析しました。その結果、初期の期間においては利益の出る取引戦略がいくつか見られたものの、後の期間においては「一貫して価値を生み出すことに失敗した」ことが明らかになりました。さらに、パラメータを調整した上でも、為替市場では利益の出る戦略は見つからなかったと報告されています [4]。

この結果は、市場の効率性が高い主要市場においては、テクニカル分析による優位性は時間と共に消滅していく(アルファがディケイする)可能性が高いという、学術界の一般的な見方とも一致します [5]。

加えて、一目均衡表が構造的に抱える最大の弱点は、そのシグナルの「遅行性」です。最強のシグナルとされる「三役好転」は、トレンドの発生を複数の指標で確認するため、信頼性が高いとされる一方で、そのシグナルが点灯する頃には、トレンドはすでに大きく進行してしまっているケースが少なくありません。この「確認」と「早期エントリー」の間に存在するトレードオフは、一目均衡表を用いる上で避けられない課題なのです。

非対称性と摩擦の視点から

一目均衡表が、単なる移動平均線の組み合わせとは一線を画す独自の存在感を放つ理由は、その構造に「非対称性」が組み込まれているからです。しかし、その強みは、常に「摩擦」という名の弱点と表裏一体の関係にあります。

Asymmetry:時間を非対称に捉える思想

ほとんどのテクニカル指標が過去から現在までのデータのみを用いて計算されるのに対し、一目均衡表は、時間を「過去・現在・未来」という非対称な三つの視点から捉えようとします。

「未来」の視点を担うのが、現在の情報から計算され、26期間先に描画される「雲」です。これは、将来のサポート帯・レジスタンス帯を予測しようとする試みです。「過去」の視点を担うのが、現在の価格を26期間前にずらして描く「遅行スパン」です。これは、現在の価格水準が、過去の価格帯と比較してどのような力関係にあるかを確認するためのものです。

このように、チャート上に過去と未来を同時に非対称に表示させることで、トレンドの方向性、勢い、そして将来の節目を多角的に分析しようとする思想こそが、一目均衡表の最大の特徴であり、他の指標にはない非対称な価値の源泉です。最強シグナルである「三役好転」は、この過去・現在・未来の三つの時間軸で強気の条件が揃うことを要求する、非対称なフィルターなのです。

Friction:信頼性の対価としての「遅行性」という摩擦

一目均衡表が抱える最も本質的な摩擦は、その信頼性と引き換えに生じる「遅行性」です。三役好転のような強力なシグナルは、複数の条件が揃うのを待つため、トレンドの発生を確認する上では信頼性が高いと言えます。しかし、その確認が取れた時には、トレンドは既に始まっており、最も利益の大きい初期段階を逃してしまう可能性が高まります。

この「信頼性のための確認作業」こそが、エントリータイミングを遅らせる「情報の摩擦」として機能します。特に、シグナルの条件の一つである遅行スパンは、その名の通り、現在の価格を過去に表示するため、トレンドの確認は構造的に遅れざるを得ません。この遅行性という摩擦は、機会損失という形で、トレーダーが支払わなければならないコストなのです。

また、その複雑さも「認知的摩擦」となり得ます。5本の線と雲が絡み合うチャートは、初心者にとっては解読が難しく、シグナルの誤認や判断の遅れを招く可能性があります。そして、ある市場では有効性が示されても[2, 3]、別の市場や異なる期間では「一貫して価値を生み出すことに失敗した」という研究結果[4]は、その有効性が常に保証されるわけではないという「再現性の摩擦」を示唆しており、この指標に絶対的な信頼を置くことの危険性を物語っています。

総括

  • 一目均衡表は、トレンド、モメンタム、サポート・レジスタンスを「一目」で把握するために、5つの要素を組み合わせて作られた包括的なテクニカル分析システムです。
  • その最強シグナルである「三役好転/三役逆転」は、複数の条件が同時に満たされることを要求する、信頼性の高いトレンド確認のサインとされています。
  • その有効性は、ベトナム株式市場[2]や、中国の原油先物市場における高頻度取引システムへの応用[3]といった、特定の市場や応用例で示唆されています。
  • 一方で、その利益は常に一貫しているわけではなく、時代や市場によっては有効性が失われる可能性が指摘されています [4]。これは、テクニカル分析全般に対する学術的な懐疑論とも一致します [1, 5]。
  • 最大の弱点は、シグナルの信頼性を高めるための複数の確認条件が、必然的にエントリータイミングを遅らせる「遅行性」という摩擦を生み出す点です。

用語集

一目均衡表 日本の細田悟一(一目山人)によって開発されたテクニカル指標。「転換線」「基準線」「先行スパン1・2」「遅行スパン」の5本の線と、先行スパンに挟まれた「雲」で構成される。

三役好転/三役逆転 一目均衡表における最も強力な売買シグナル。三役好転は、①転換線が基準線を上抜く、②遅行スパンが価格を上抜く、③価格が雲を上抜く、という3つの強気条件が揃った状態。三役逆転はこの逆。

転換線 過去9期間の高値と安値の中間値。短期的なモメンタムを示す。

基準線 過去26期間の高値と安値の中間値。中期的なモメンタムを示す。

雲 (Kumo) 先行スパン1と先行スパン2に挟まれた領域。将来のサポート帯およびレジスタンス帯として機能するとされる。

先行スパン 転換線と基準線の中間点(スパン1)や過去52期間の中間点(スパン2)を、26期間先にずらして表示したもの。

遅行スパン 当日の終値を26期間前にずらして表示したもの。現在の価格と過去の価格を比較するために用いる。

テクニカル分析 過去の価格や出来高といった市場データを用いて、将来の価格変動を予測しようとする分析手法。

遅行性 市場の実際の転換点よりも、指標のシグナルが遅れて発生する性質。

バックテスト ある投資戦略が、過去の市場データを用いてシミュレーションした場合に、どのようなパフォーマンスを示したかを検証すること。

参考文献一覧

[1] Brock, W., Lakonishok, J., & LeBaron, B. (1992). Simple technical trading rules and the stochastic properties of stock returns. The Journal of Finance, 47(5), 1731-1764.
https://doi.org/10.1111/j.1540-6261.1992.tb04681.x

[2] Che-Ngoc, H., Do-Thi, N., & Nguyen-Trang, T. (2023). Profitability of Ichimoku-Based Trading Rule in Vietnam Stock Market in the Context of the COVID-19 Outbreak. Computational Economics, 62(4), 1781–1799.
https://doi.org/10.1007/s10614-022-10319-6

[3] Deng, S., Xiao, C., Zhu, Y., Peng, J., Li, J., & Liu, Z. (2023). High-frequency direction forecasting and simulation trading of the crude oil futures using Ichimoku KinkoHyo and Fuzzy Rough Set. Expert Systems with Applications, 213, 119326.
https://doi.org/10.1016/j.eswa.2022.119326

[4] Deng, S., Yu, H., Wei, C., Yang, T., & Tatsuro, S. (2021). The profitability of Ichimoku Kinkohyo based trading rules in stock markets and FX markets. International Journal of Finance & Economics, 26(4), 5986-6003.
https://doi.org/10.1002/ijfe.2067

[5] Malkiel, B. G. (2003). The efficient market hypothesis and its critics. Journal of Economic Perspectives, 17(1), 59-82.
https://doi.org/10.1257/089533003321164958

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