山内溥・宮本茂・岩田聡からSwitch2まで。任天堂の真の希少資源は何か。
Nintendo Switch2は売れている。任天堂の2026年3月期実績によれば、2025年6月の発売から年度末までに1,986万台を販売した。新ハードの立ち上がりとしては疑いなく強い。にもかかわらず、私はこの製品に、初代Switchのときとは異なる種類の不安を感じる。
それは販売台数への不安ではない。Switch2が、初代Switchの思想をほとんど否定していないからである。性能は高くなり、画面は大きくなり、Joy-Con2にはマウス操作が加わり、GameChatも導入された。しかし、DSの二画面、Wiiリモコン、Switchの据置・携帯統合のように、「ゲーム機とは何か」という前提そのものをずらす新しい原理は見えにくい。
もっとも、変えればよいわけではない。iPhoneが初代から基本形を大きく変えていないように、優れた製品はある時点で強い局所最適に到達する。Switch2がSwitchを磨き込む道を選んだこと自体は、十分に合理的である。問題は別にある。任天堂は、必要になったとき、もう一度Switchを捨ててでも世に出すべき何かを作れるのか。
本稿で考えたいのは、まさにその一点である。任天堂の歴史を特別なものにしたのは、単に危機のたびに大胆な賭けをしたことではない。経営上の合理性を一度壊してでも商品化したくなるほど面白い「遊びの原理」を、社内で何度も本当に発見してしまったことではないか。そして、それを臆さず市場へ出してしまったことではないか。
- Switch 2は売れている。それでも不安が残る
- 任天堂史の飛躍は「危機」だけでは説明できない
- 山内溥は未来を当てたのではなく、「張る場所」を選び続けた
- 宮本茂は、経営者に賭けさせるだけの「遊び」を作った
- 岩田聡は、技術・創造・経営を接続した
- Switchは、岩田氏亡き後に成功した。しかし岩田氏から切れてはいない
- Switch 2で任天堂は、大きく賭けなかった
- それでも現在の任天堂から「探索機構」は消えていない
- しかし、資金では「Switchを捨てる理由」は生産できない
- 任天堂の本当の希少資源は、「発見を反復してきたこと」ではないか
- 現在の任天堂に残っているのは、能力か、遺産か
- 次に見るべき先行指標は、販売台数ではなく「説明しづらい奇妙さ」である
- 任天堂は、もう一度「賭けざるを得ないほど面白いもの」を作れるか
- 参考資料・一次資料
Switch 2は売れている。それでも不安が残る
任天堂の公式販売データでは、Switch2は2026年3月末までに1,986万台、ソフトは4,871万本を販売している。一方、初代Switchは累計1億5,592万台に達している。Switch2は巨大な成功プラットフォームを引き継ぐ後継機であり、「失敗作からの再出発」ではない。[1]
だから、初代Switchの形を維持したこと自体には強い合理性がある。ユーザーのソフト資産、Nintendo Account、開発環境、周辺機器の思想、携帯・据置を横断する利用習慣まで含め、壊す対象があまりにも大きい。成功している構造を変えることには、革新という言葉だけでは正当化できないコストがある。
任天堂自身も、Switch2で新しい仕組みを検討しなかったわけではない。プロデューサーの河本浩一氏は、従来にない新しい遊びの仕組みを複数検討したが、一部のソフトでは使えても、多くのソフトでは使いにくかったと説明している。さらに本体の形そのものを変える可能性まで検討したうえで、「変化のための変化」はしないと判断した。[2]
この証言は重要である。Switch2が保守的なのは、少なくとも公式説明上は「新しいことを考えなかった」からではない。考えた。しかし、Switchを壊すほど強い案が残らなかった。ここに、現在の任天堂を考えるための最初の論点がある。
任天堂史の飛躍は「危機」だけでは説明できない
任天堂の巨大な飛躍の前には、しばしば危機がある。GameCubeがPlayStation2に大きく差をつけられた後にDSとWiiが現れ、WiiUの失敗後にSwitchが現れた。したがって、「任天堂は追い詰められると革新する」という説明は一見もっともらしい。
しかし、危機は発明を生まない。危機に陥った企業は無数にあるが、その大半はWiiもSwitchも作らない。危機ができるのは、既存路線を捨てる心理的・財務的ハードルを下げることまでである。何を代わりに作るべきかは、別の問題として残る。
| 段階 | 内容 |
|---|---|
| A | 既存モデルへ圧力がかかる。 |
| B | 従来モデルを上回る新しい遊びの原理が社内に生まれる。 |
| C | 経営がその原理へ資本・IP・ブランドを張る。 |
| D | 市場がそれを受容する。 |
任天堂の飛躍は、より厳密には四段階で考えたほうがよい。Aは既存モデルへ圧力がかかること、Bは従来モデルを上回る新しい遊びの原理が社内に生まれること、Cは経営がその原理へ資本・IP・ブランドを張ること、Dは市場がそれを受容することである。
通常の経営論はAとCを語りやすい。「危機だったので大胆な決断をした」という物語は理解しやすいからだ。しかし、任天堂で最も希少だったのはBではないか。会社を賭けることが合理的に思えるほど面白いものが、まず実在しなければならない。危機だけでは、その一案は出てこない。
山内溥は未来を当てたのではなく、「張る場所」を選び続けた
山内溥氏を「先見の明があった経営者」とだけ呼ぶと、その異様さが薄まる。娯楽産業の未来は、本質的に予測しにくい。任天堂自身も現在の経営方針で、娯楽製品の研究開発には大きな不確実性があることを前提としている。[3]
山内氏の強さは、未来を正確に予言したことよりも、不確実なまま「誰と何に張るか」を決めたことにあったと考えたほうがよい。宮本茂氏のような、当時の既存職種では評価しにくい人物を会社の中心へ押し上げた。そして2002年には、53年間務めた社長職を、創業家でも生え抜き営業畑でもなく、HAL研究所出身の42歳のプログラマー、岩田聡氏へ渡した。[4]
これは単に若返り人事だったのではない。長期政権の創業家経営者が、自分と似た後継者ではなく、技術者出身で対話型の異質な人物を選び、自分の成功様式をそのまま継承させなかった。結果論を排しても、極端な選択である。
山内氏の稀有さは、自分でゲームを作れたことではなく、自分とは異なる種類の天才を認識できたことにあるのかもしれない。誰が作れば、人がまだ名前を付けていない面白さが出てくるのか。その見極めが、経営そのものだった。
宮本茂は、経営者に賭けさせるだけの「遊び」を作った
宮本茂氏を「天才ゲームクリエイター」と呼ぶだけでは足りない。『スーパーマリオブラザーズ』『ゼルダの伝説』『スーパーマリオ64』などで、個別作品のヒットを超えて、2Dアクション、探索、3D空間移動の標準的な感覚そのものを作り替えてきた。AIASは1998年、宮本氏をHall of Fameの第1号に選んでいる。[5]
しかし任天堂の企業史として重要なのは、宮本氏が「新しい遊びはこうなるはずだ」と説明するだけではなく、触れば分かる形にできたことである。娯楽産業では、市場予測やパワーポイントより、一度触った試作品のほうが経営判断を反転させることがある。
2008年の任天堂経営方針説明会で、竹田玄洋氏は任天堂の国際競争力として、宮本氏らソフトウェア開発者とハードウェア開発者が同じ会社・同じ場所におり、「技術のための技術」ではなく、顧客体験のために一緒に設計できることを挙げた。その直後、岩田氏は壇上の六人について「山内溥という人の教え子です」と述べている。[6]
山内氏が選び、宮本氏が遊びを作り、竹田氏らがハードへ落とし込み、岩田氏が経営言語へ翻訳する。能力が重複していないからこそ、組織として異常に強かった。
岩田聡は、技術・創造・経営を接続した
岩田聡氏は「ゲーム好きの社長」という形容では収まらない。プログラマーとして現場を理解し、HAL研究所の社長として経営再建を経験し、任天堂社長として財務と組織を担い、そのうえで宮本氏らの試作品が何を意味するかを理解できた。技術、クリエイティブ、経営という三つの言語圏を横断できた。
DSとWiiは、この接続能力が最も明瞭に現れた時期だった。任天堂は高性能競争を正面から追う代わりに、「ゲーム人口の拡大」という別の目標を掲げた。Wiiリモコンは単なる奇抜なコントローラーではなく、誰がゲームを遊ぶのか、操作とは何かという定義そのものを変えるための装置だった。
しかも岩田氏は、危機のときだけ常識を疑ったわけではない。業績が急拡大していた2007年にも、業界で常識とされるプラットフォーム周期が不変の真実とは限らないと語り、同時に好調による慢心と組織肥大を警戒していた。[7][8]
ここから分かるのは、「危機だから賭けた」という単純な図式ではない。探索は平時から走っていた。危機は決断を促すことはあっても、発明の起点そのものではなかった。
Switchは、岩田氏亡き後に成功した。しかし岩田氏から切れてはいない
初代Switchの発売は2017年で、山内氏はすでに亡く、岩田氏も2015年に亡くなっていた。その意味でSwitchは、両者不在の任天堂が完成させ、市場へ送り出した巨大な成功である。
ただし構想形成まで岩田氏から切り離すことはできない。任天堂のCSR資料では、当時社長だった岩田氏が河本浩一氏と小泉歓晃氏を呼び、次のハードを考えるよう求めたことがSwitch開発の出発点として語られている。[9]
Switchの強さは、奇抜なギミック一つではなかった。テレビでも携帯でも同じゲームを遊べること、Joy-Conを分離して共有できること、据置機と携帯機に分かれていた開発資源を一つのプラットフォームへ集約できること。ユーザー体験と任天堂自身の開発構造を同時に解いた。
つまりSwitchは、単に「変なハード」ではない。複数の問題へ一つの構造で回答した。だからこそ、壊すのが難しいほど強い。
Switch 2で任天堂は、大きく賭けなかった
Switch2では、大きなプラットフォーム賭博は行われなかった。これは非難ではなく、まず事実として認識すべきである。任天堂はスタイルを変える案まで検討したうえで、Switchの基本構造を維持した。[2]
内部的には全面刷新である。CPU、GPU、メモリ、ストレージ、通信、ディスプレイなどを作り直し、開発者は「全部イチからつくり直し」と説明している。[10]
しかし、それは技術的な刷新であり、ユーザーへ提示する遊びの原理としては連続性が強い。
したがって二つの評価は両立する。Switch2は非常によく設計された合理的な後継機である。同時に、DS、Wii、Switchに見られたような「新しい遊びの原理への大きな賭け」は、今回は行われなかった。
問題は、賭けなかったことではない。張るほどのものがあったのに臆したのか、それとも張るに値するものがまだなかったのかである。現在確認できる開発者証言は、後者をやや支持している。新案は検討されたが、Switchの優位を崩すほど汎用的で強いものにはならなかった。
それでも現在の任天堂から「探索機構」は消えていない
ここで「創造力が枯れた」と結論するのは、証拠から逸脱する。現在の任天堂にも、小規模な試作から新しい遊びを育てる仕組みが残っていることを示す事例がある。
『リングフィット
アドベンチャー』は2015年頃、三人ほどの小さなチームによる試作から始まった。運動をゲームへ添えるのではなく、RPGの成長構造を使って「運動を続けたくなる理由」を設計し、最終的にはリングコンという専用インターフェースまで作った。[11]
NintendoLaboも、ソフト側の初期試作は実質三週間ほどで、「実現性度外視」の自由な探索から始まった。段ボール工作とJoy-Conのセンサーを結合し、ゲーム機を工作物・物理インターフェースへ変えた。[12]
さらに『ドンキーコングバナンザ』では、作品企画より前から「地形が全部壊せたらどういうゲームになるか」という研究が続いていた。『スーパーマリオオデッセイ』発売直後からプログラマーが技術検証を重ね、その手応えが後にドンキーコングという題材と合流した。[13]
これらは重要な証拠である。小さなチームが試す。触って面白ければ育てる。技術検証が先に走り、後から作品と結びつく。宮本氏一人の直感に依存しない探索プロセスは、現在も動いている。
しかし、資金では「Switchを捨てる理由」は生産できない
ここからが本稿の核心である。現在の任天堂には資金がある。技術者もいる。マリオ、ゼルダ、どうぶつの森、スプラトゥーン、ポケモンなどの強力なIPがある。世界規模の販売網があり、ブランドがあり、NintendoAccountを核とする巨大なユーザー基盤もある。研究開発も継続している。
しかし、それらを全部持っていても、「これはSwitchを捨ててでもやるべきだ」と思わせる遊びの原理だけは、資本投下によって確実に生産できない。開発者を二倍にしても、研究開発費を二倍にしても、Switchを上回る一案が二倍の確率で出るとは限らない。
任天堂の経営方針は、経験したことのない楽しさを持つ娯楽を提供することを掲げている。2026年3月期にも大規模な研究開発費を投じている。[1][3]
それは必要条件である。しかし、必要条件をどれほど積み上げても、最後の一案は自動生成されない。
企業は「創造的であれ」と命令して創造的にはならない。市場調査からも、財務モデルからも、WiiリモコンやSwitchのハイブリッド構造は機械的には導けない。最も困難なのは、従来モデルを上回る発明が社内に実際に存在すること。それが生まれること。そして、もう一度生むことである。
任天堂の本当の希少資源は、「発見を反復してきたこと」ではないか
おそらく任天堂という会社の本当の希少資源は、半導体でもキャラクターIPでもない。もちろん、それらは莫大な価値を持つ。しかし、任天堂を任天堂たらしめてきたもっと希少な能力は、経営上合理的でないほど面白いものを、たびたび本当に発見してしまったことではないか。
そして、発見しただけではない。踏みとどまらず、臆さず、それを世に出してしまった。発明と賭けを接続した。山内氏の時代には、それが何度も起きた。岩田氏の時代にもまた起きた。単発の奇跡ではなく、少なくとも歴史上は反復再現した。
ここで「反復再現」という言葉を使うのは重要である。一度の大ヒットなら偶然でも起こり得る。しかし、ファミコン、ゲームボーイ、DS、Wii、Switchのように、異なる時代、異なる技術条件、異なる市場環境で何度も新しい遊び方を大衆化したことは、単純な幸運だけでは説明しにくい。
同時に、この能力を永久資産のように扱うのも危険である。山内氏も岩田氏もすでにいない。宮本氏も73歳となり、現在は代表取締役フェローとして全社的な役割を担っている。「山内の生徒たち」が退いた後、その評価関数が組織制度として残っているかは、まだ完全には証明されていない。
現在の任天堂に残っているのは、能力か、遺産か
Switchの成功は、現在の任天堂に能力が残っていることを示す強い証拠である。しかし同時に、Switch構想初期には岩田氏が関与していた。Switch2はそのSwitchの連続線上にある。したがって、「山内・岩田・宮本という特異な個人から完全に独立した任天堂が、ゼロから新しいプラットフォーム原理を作り、そこへ会社を張った」という最終試験は、まだ終わっていない。
現在の任天堂でも探索は続いている。RingFit、Labo、Bananzaのような事例を見る限り、「変なものを試す」文化は残っている。ハードとソフトを同じ会社で接続する構造も残っている。資金も人材もある。
したがって悲観論を先に置く必要はない。ただし、これらは「Switch級の発明をもう一度生める」という証明でもない。小規模な探索を継続できることと、巨大なプラットフォームの前提を置き換える発明へ到達することの間には、深い谷がある。
任天堂の次の十年で問われるのは、その谷をもう一度越えられるかである。
次に見るべき先行指標は、販売台数ではなく「説明しづらい奇妙さ」である
だから今後の任天堂を見るとき、販売台数だけを追っても次の飛躍は見えにくい。売上高、営業利益、Switch2の累計台数は経営状態を測るうえでは重要だが、次の発明が社内に芽吹いているかを測る先行指標としては弱い。
むしろ面白いのは、任天堂が「説明しづらい奇妙なもの」を突然出し始めるかどうかである。WiiリモコンもDSの二画面も、Laboの段ボールも、最初に言葉だけで聞けば奇妙だった。既存需要へ忠実に応える商品なら、市場調査で説明しやすい。しかし、人が触るまで価値が分からないものは、発売前には説明しにくい。
奇妙な試作品が増え、それが一つのソフトだけでなく複数の遊びへ波及し、ハードそのものの意味を変え始める。その段階で、社内に次のB、すなわち従来モデルを上回る新しい遊びの原理が生まれ始めている可能性がある。
「面白いのに売れる、人類未踏のゲーム機」は、決算資料の数字より先に、そうした説明しづらい違和感として姿を現すのかもしれない。
任天堂は、もう一度「賭けざるを得ないほど面白いもの」を作れるか
Switch2を保守的だから駄目だと断じるのは簡単である。しかし、初代Switchが極めて優れた局所最適なら、それを維持して性能と快適性を上げることは正しい。今回、無理に賭けなかったことは合理的だった可能性が高い。
問題は、その合理性をいつか破れるかである。危機は、その決断を促すことがある。しかし危機だけでは何も生まない。最も難しいのは、社内に従来モデルを上回る発明が存在すること。それが生まれること。それをもう一度生むことである。
資金はある。技術者もいる。IPもある。販売網やブランドまである。しかし、それらを全部持っていても、「これはSwitchを捨ててでもやるべきだ」と思わせる遊びの原理だけは、資本投下では確実に生産できない。
おそらく任天堂という会社の本当の希少資源は、半導体でもキャラクターIPでもなく、昔からずっとこの究極に困難なハードルを反復して突破してきたことである。すなわち、経営上合理的でないほど面白いものを、たびたび本当に発見してしまったこと、そして踏みとどまらず、臆さずそれを世に出してしまったことである。
山内氏の時代には、それが何度も起きた。岩田氏の時代にもまた起きた。反復再現した。現在の任天堂でも、その「探索機構」は残っているように見える。しかし、もう一度Switch級のものを世に打ち出せるかどうか、反復再現性が残っているのかは、まだ誰にも分からない。
だから今後の任天堂を見るとき、販売台数以上に面白い先行指標は、「説明しづらい奇妙なものを突然出し始めるか」である。そういうものが出始めたとき、「面白いのに売れる、人類未踏のゲーム機」が内部で芽吹き始めているのではないか。
任天堂の次の飛躍があるとすれば、おそらくその瞬間から始まる。
参考資料・一次資料
本文中の番号は以下の資料に対応します。企業史に関する因果モデルや評価は筆者の分析であり、一次資料がその因果を直接証明するものではありません。事実認定と解釈を分けるため、主要な史実は任天堂公式資料・業界団体資料を優先しています。
[1] Nintendo Co., Ltd.「Dedicated Video Game Sales Units / Annual
Report 2026」。Switch 2・Switch販売実績、研究開発費など。
https://www.nintendo.co.jp/ir/en/finance/hard_soft/index.html
[2] 任天堂「開発者に訊きました:Nintendo Switch
2」。新機軸の検討と「変化のための変化」を避けた経緯。
https://www.nintendo.com/jp/interview/switch2/index.html
[3]
任天堂「経営方針」。娯楽事業の不確実性と新しい娯楽の創造に関する基本方針。
https://www.nintendo.co.jp/ir/management/policy.html
[4] Nintendo Co., Ltd.「DIRECTORS’ CHANGE /
2002」。山内溥から岩田聡への社長交代。
https://www.nintendo.co.jp/ir/pdf/2002/020530e.pdf
[5] Academy of Interactive Arts & Sciences「Shigeru Miyamoto — Hall
of Fame」。1998年Hall of Fame第1号。
https://www.interactive.org/special_awards/details.asp?idSpecialAwards=9
[6] 任天堂「2008年10月31日 経営方針説明会
質疑応答」。竹田玄洋氏のハード・ソフト一体開発論と岩田聡氏の「山内の生徒」発言。
https://www.nintendo.co.jp/ir/events/081031qa/index.html
[7] Nintendo Co., Ltd.「Corporate Management Policy Briefing Q&A,
Oct. 26, 2007, Q16」。業界常識を疑う岩田聡氏の発言。
https://www.nintendo.co.jp/ir/en/events/071026qa/04.html
[8] Nintendo Co., Ltd.「Corporate Management Policy Briefing Q&A,
Oct. 26, 2007, Q21」。好調時の慢心への警戒。
https://www.nintendo.co.jp/ir/en/events/071026qa/05.html
[9] Nintendo Co., Ltd.「CSR Report 2017」。Nintendo
Switch構想初期と岩田聡氏の関与。
https://www.nintendo.co.jp/csr/en-us/pdf/nintendo_csr2017e.pdf
[10] 任天堂「開発者に訊きました:Nintendo Switch
2『全部イチからつくり直し』」。技術刷新と設計思想。
https://www.nintendo.com/jp/interview/switch2/02.html
[11] 任天堂「開発スタッフに聞く『リングフィット
アドベンチャー』」。2015年頃、約3人から始まった試作。
https://www.nintendo.com/jp/topics/article/e115dc48-07de-4a31-aed1-ad65b3cbeb64
[12] 任天堂「Nintendo Labo
開発者INTERVIEW」。実現性度外視の探索と実質3週間の初期試作。
https://www.nintendo.com/jp/labo/interview/interview_02/index04.html
[13] 任天堂「開発者に訊きました:ドンキーコング
バナンザ」。企画前から続いた地形破壊の技術検証。
https://www.nintendo.com/jp/interview/aaaca/02.html
コメント